琉球浪漫ウォーク♪ 第1回 世界遺産:中城グスク+α ④
2019年11月18日
こんにちは、マルキヨ製菓広報担当の仲宗根です。今日は朝から曇り空。「今にも雨が降り出しそうな天気」と書いていたら、雨が降ってきました。傘の携帯が必要な月曜日です。
今日は最高気温が27度の沖縄ですが、水曜日には最高22度、最低18度となっています。寒暖差で体調を崩さないよう気をつけましょう。かくいう私も、今日は朝からノドが少し痛く、白湯を飲んでケアしています。
さて、今回は過去3回にわたって綴ってきた「琉球浪漫ウォーク」の記事の最終回となります。
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歴史講座の講師やイラストレーター他、多彩な活躍をみせる琉球歴女「和々」さんがガイドをつとめる企画「琉球浪漫ウォーク♪ 第1回 世界遺産:中城グスク+α」。
10月中旬に参加募集があり応募。10月31日に首里城火災があった後の文化の日(11月3日)、中城城を巡ってきました。
まずは中城城・正門前の広場にある「カンジャーガマ(鍛冶屋跡)」、和々さんオススメ「今、最もアツいポイント」の石積み、拝所が3つある「南の郭」を訪れました。
⇒【琉球浪漫ウォーク♪ 第1回 世界遺産:中城グスク+α ①】
⇒【琉球浪漫ウォーク♪ 第1回 世界遺産:中城グスク+α ①】
続く一の郭にて、護佐丸が生活したであろう本殿跡を訪れます。「護佐丸・阿麻和利の乱」では、護佐丸派でも阿麻和利派でもなく、尚泰久王ダークサイド説を想像しながら
二の郭から眺めるパノラマ景色を堪能。そして、護佐丸が城内に囲った井戸の解説を聞きました。
⇒【琉球浪漫ウォーク♪ 第1回 世界遺産:中城グスク+α ②】
二の郭から眺めるパノラマ景色を堪能。そして、護佐丸が城内に囲った井戸の解説を聞きました。
⇒【琉球浪漫ウォーク♪ 第1回 世界遺産:中城グスク+α ②】
三の郭では壮大な城壁を見つめ、
500年以上も前、機械もクレーン車もない時代にこれだけの仕事をなした人々の凄さを想像。城外に出ても、護佐丸の整備した排水溝などを見て回りました。
⇒【琉球浪漫ウォーク♪ 第1回 世界遺産:中城グスク+α ③】
500年以上も前、機械もクレーン車もない時代にこれだけの仕事をなした人々の凄さを想像。城外に出ても、護佐丸の整備した排水溝などを見て回りました。
⇒【琉球浪漫ウォーク♪ 第1回 世界遺産:中城グスク+α ③】
これで今回の浪漫ウォークも終わり・・・ いえいえ。まだまだ、この先に見所があるのです。
伊寿留按司の墓
城の裏門を出て、しばらく広い運動場を歩いて行くと、ガイドの和々さんが
何やら神秘的な場所へ誘導。
奥へ進んでいくと
こんな場所へ辿りつきました。和々さん曰く「護佐丸の兄:伊寿留按司の墓」とのこと。個人的に「護佐丸の兄」は初耳。護佐丸は琉球史に名を残す武将ですが、その兄は武将ではなく農業で莫大な富を築いた豪農。
何やら神秘的な場所へ誘導。
奥へ進んでいくと
こんな場所へ辿りつきました。和々さん曰く「護佐丸の兄:伊寿留按司の墓」とのこと。個人的に「護佐丸の兄」は初耳。護佐丸は琉球史に名を残す武将ですが、その兄は武将ではなく農業で莫大な富を築いた豪農。
中城に住んでいたということですが、護佐丸とどの程度の繋がりがあったのかは不明なようで、そこは浪漫をかき立てるポイントですね。
城外にあり見落としがちになりそうな場所で、こういうマニアックな解説が聞けるのも、和々さんガイドの浪漫ウォークならではなのです。
その後、一行は中城城跡の外に出て、ようやく今回のツアーは終了。とは、ならないんですね。最後にもう1箇所、「ならでは」のポイントがあります。
中城城は日本100名城の1つ
最後のポイントに向かう前に、少し休憩。実は今回、和々さん+参加者全員に
「マルキヨ製菓お菓子総選挙第1位」の「紅芋しっとりまんじゅう」と
新作の「黄金シークヮーサーまんじゅう」を差し入れさせて頂きました。みなさん、美味しく召し上がっていただけたようで、何よりです。何せ11月は箱物強化月間ですからね。
「マルキヨ製菓お菓子総選挙第1位」の「紅芋しっとりまんじゅう」と
新作の「黄金シークヮーサーまんじゅう」を差し入れさせて頂きました。みなさん、美味しく召し上がっていただけたようで、何よりです。何せ11月は箱物強化月間ですからね。
休憩時間の間に、窓口でスタンプを押しました。この時恥ずかしながら「中城城が、日本100名城の1つ」というのを、初めて知りました。けっこう全国から城好きの方が訪れるそうですよ。
護佐丸の墓
お菓子を食べ、スタンプを押し、最後のポイントに向かいます。
中城城跡を後にし、10分ほど歩くと
護佐丸の墓があるという場所に。
浪漫ウォークで2時間以上歩いていましたが、最後にこの階段。
気合い入れてみなさん、上っていきます。
なかなかの階段を上りきった先にありました、護佐丸の墓。「お墓の写真を掲載するのはいかがなものか?」と思いましたが、パンフレットに写真も載っているので、こちらでも掲載しました。
中城城跡を後にし、10分ほど歩くと
護佐丸の墓があるという場所に。
浪漫ウォークで2時間以上歩いていましたが、最後にこの階段。
気合い入れてみなさん、上っていきます。
なかなかの階段を上りきった先にありました、護佐丸の墓。「お墓の写真を掲載するのはいかがなものか?」と思いましたが、パンフレットに写真も載っているので、こちらでも掲載しました。
何故、護佐丸の墓が中城城より離れた場所にあるのか? 歴史の上では琉球国王に反逆した事になっている護佐丸。護佐丸・阿麻和利の乱の際、血縁者で唯一、阿麻和利の攻撃から逃げる事に成功した護佐丸の三男・盛親(せいしん)。
彼のおかげで護佐丸の血筋は生き続け、今でもその子孫が10万人いるとも言われています。護佐丸の死(1458年)から200年以上過ぎた1686~7年、彼の子孫が許可を得て、この地に墓を作ったそうです。
護佐丸の墓に手を合わせてウートートー。最後はまた、長い階段を降り、中城城跡まで戻って、今回の浪漫ウォークは終了となりました。
浪漫ウォークを終えて
最初はブログ記事2回分で終わらせようと思ったのですが、その倍になったのは理由があります。
「琉球浪漫ウォーク」が行われたのは11月3日。直前に首里城火災があったという事もあり、中城城(なかぐすくじょう・なかぐすくグスク)を巡るこの企画については、わりと詳しく書くよう意識しました。
ガイドの和々さんを中心に、参加したみんなで「こういう時だからこそ、琉球のことを学べる機会に学ぼう」と、中城城を巡りました。私も基本的な琉球史は知っているつもりでしたが、今回の企画に参加して初めて見聞きするものばかりでした。
余談ですが、和々さんのイラストやコラムが満載の
こちらの本、浪漫ウォーク当日に持ち寄って和々さんのサインをもらいました。他にも同じようにサインをもらっていた方、いましたよ。今は入手困難なようで、私が持っている初版本は、けっこう貴重らしいです。
参加者の中にはお子さんも数人いましたが、オギヤカが好きという小学生がいてビックリしましたね。オギヤカをしっているだけでなく、好き嫌いがハッキリしそうなこの人物を好きな小学生がいるとは。
そんな話をしたりして、みんなで盛り上がったりする場面も楽しいひとときでした。
今回の「浪漫ウォーク」に参加でき、非常に有意義でとてもいい勉強になりました。和々さんには感謝感謝ですね。
次に似たような企画があれば、積極的に参加したいと思っています。その際は、学んだ事を復習しつつ、ブログに綴っていきたいと思います。
今回はこの辺で。
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