琉球浪漫ウォーク♪ 第1回 世界遺産:中城グスク+α ②
2019年11月7日
こんにちは、マルキヨ製菓広報担当の仲宗根です。11月もはや1週間が過ぎようとしています。確実に年末の足音が近づいていますね。昨日、今日と快晴の沖縄で、朝から気持ちよく仕事をしていますよ。
さっき、弁当を買いに外を歩きましたが、日中はまだまだ暑いですね~。
紅芋しっとりまんじゅう等、箱に入った商品に力を入れてイチオシしています。県内各スーパーで売られているこれらの商品を見かけたら、是非、手に取ってみてくださいね。1度食べれば、その美味しさは伝わると思いますので。
琉球浪漫ウォーク
さて、前回に引き続き、今回も「琉球浪漫ウォーク 世界遺産:中城グスク+α」の様子をご紹介したいと思います。
琉球歴女「和々」さんによる企画で、本人の素晴らしいガイドによる世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の1つ「中城城(なかぐすくじょう・なかぐすくグスク)」を巡るツアーです。
前回のブログでは、正門前の広場にある「カンジャーガマ(鍛冶屋跡)」を訪れ、
「護佐丸が阿麻和利の攻めに対して備えていた?」と想像し、広場から見えるいい景色を眺めました(写真撮ったのに、DATA消失)。
櫓(やぐら)があったであろう正門を通り、和々さんおススメ「今、最もアツいポイント」という場所をチェックし(こちらも写真喪失)、アーチ門をくぐり、御嶽(うたき)・拝所(拝む場所)が3つある空間へ。
そこは「南の郭」と呼ばれる場所で、場内にある8つの御嶽のうち「久高遥拝所」「首里遥拝所」「雨乞いの御嶽」の3つがあります。この企画に参加しているみなさん、「首里遥拝所」で手を合わせ、首里城の復興を願いました。
そこから遠くに見える廃墟になったホテル(中城高原ホテル)の解体がようやく進んでいるという説明を聞き、その手前にある「雷岩」もチェック。この「雷岩」は、護佐丸が切腹した夜、突如現れたものだとか。
一の郭
「石積みの仕方(野面積み等)で、その城壁が作られた年代を知ることができる」という解説を聞きながら、一の郭の中央へ進んでいきます(写真が消えたのが悔しい)。
そして、護佐丸が住んでいた本殿があったであろう跡地を眺めながら、いろいろな思いを巡らせます。ここでも和々さんによるマニアックなガイドで、一同「へ~」となりますが、その内容は浪漫ウォークに参加した人だけの秘密にしておきましょう。
和々さんはネットにものっていない色々な内容を話してくれたので、琉球史の初心者だけでなく、中級者・上級者も初耳情報がけっこうあったと思います。
護佐丸・阿麻和利の乱では「護佐丸派か? 阿麻和利派か?」などの話で盛り上がりつつ、私のように「尚泰久の実績が逆に怪しすぎて、1番ダークサイドなのは彼かも?」と想像するのはきっと自分だけだろうなと思っていました。
一同は一の郭のお隣、ニの郭へと進みます。
二の郭
二の郭の後半辺りで撮影した写真が消失を免れていましたので、ここからは写真と共に浪漫ウォークの内容を書いていきます。
城内はどこに行っても、いい景色を眺めるポイントがあり、護佐丸やその臣下の者達も、こういう景色を眺め(もちろん500年以上前とは風景は違うはずですが)「この美しい場所を守らねば」と思ったのかなと想像します。
ここから見えるのはお隣「三の郭」。そしてこの角度は、「テンペスト」で、あの人が仲間由紀恵とあの人のあの場面を見てしまう所ですね(わかる人だけ、わかって下さい)。
このように城壁は2段階で人が通れる所があり、この人の通れる場所を「武者走り」と言うそうです。読んで字の如く、何か緊急事態があれば、ここに弓をもった兵達が配置される事でしょう。
二の郭の中央には、「忠魂碑」が立っていました。護佐丸と言えば琉球史を代表する王家に仕えた忠臣ですから、てっきり彼の魂を鎮める碑なのかと思いましたが、こちらは日露戦争による戦没者のためのものだそうです。
城内はどこに行っても、いい景色を眺めるポイントがあり、護佐丸やその臣下の者達も、こういう景色を眺め(もちろん500年以上前とは風景は違うはずですが)「この美しい場所を守らねば」と思ったのかなと想像します。
ここから見えるのはお隣「三の郭」。そしてこの角度は、「テンペスト」で、あの人が仲間由紀恵とあの人のあの場面を見てしまう所ですね(わかる人だけ、わかって下さい)。
このように城壁は2段階で人が通れる所があり、この人の通れる場所を「武者走り」と言うそうです。読んで字の如く、何か緊急事態があれば、ここに弓をもった兵達が配置される事でしょう。
二の郭の中央には、「忠魂碑」が立っていました。護佐丸と言えば琉球史を代表する王家に仕えた忠臣ですから、てっきり彼の魂を鎮める碑なのかと思いましたが、こちらは日露戦争による戦没者のためのものだそうです。
「忠臣・護佐丸になぞらえてのものかも」という話を聞きながら、まだまだ浪漫ウォークは続きます。
謎の穴
二の郭を後にして
北の郭へと降りていきます。
あちら側には西の郭もありますが、こちらからは行けないようです。
それにしても
どこを見ても
すごい眺めです。
この通り、城外も一望できます。北の郭の奥にはウフガー(大井戸)があります。もし、籠城戦となった場合、食料だけでなく水も必要となります。
北の郭へと降りていきます。
あちら側には西の郭もありますが、こちらからは行けないようです。
それにしても
どこを見ても
すごい眺めです。
この通り、城外も一望できます。北の郭の奥にはウフガー(大井戸)があります。もし、籠城戦となった場合、食料だけでなく水も必要となります。
護佐丸は水源確保のため、ウフガーを城内に取り囲むように手をかけました。さらに護佐丸の凄い所は、城外へ水を排出する排水溝も作っていたところ。
彼の生きた時代は、今から500年以上も昔ですが、きっと台風もあったと思います。戦に備え、水害に備える護佐丸の賢さが際立つ施設の1つだと思います。
長くなりましたので、浪漫ウォークの後半は次回に続きたいと思います。
1番すごいと思ったところ
今回の浪漫ウォークで、1番すごいなと自分が感じたものがあります。一の郭・二の郭・武者走り・ウフガー・護佐丸の凄さ・和々さんの素敵なガイドも、みな素晴らしいと感じましたが・・・
1番すごいと思ったのは、琉球の歴史を楽しむというコンセプトのもとで企画した「第1回浪漫ウォーク」で、和々さんが「中城城を選んだ」という点。申し込みは10月16日でしたが、何が凄いかわかりますか?
もし、自分が琉球の歴史を楽しむためのイベントを企画するなら、迷わず第1回は首里城にします。それこそ、尚家の歴代王を言える私としては、首里城をチョイスし、豊富な資料をもとにたくさん語るでしょう(琉球史初心者の私がガイドするならですが)。
しかし中城城となると、自分の知識は城主を務めた護佐丸を知っている程度。とても2時間半を語るだけの知識もトーク力もありません。しかし、和々さんは違います。これだけの時間でも足りない情報を、楽しく伝える能力があります。
10月31日にあの火災があり、結果として11月3日に、「あんな事があった今だからこそ、琉球の歴史を学ぼう」という事で、11名の参加者が集うことになりました。参加メンバーの中には、県外から来た人もいたんですよ。
もし第1回が首里城なら、企画自体も遂行できず、琉球史を好きな方達とも交流できなかったはずです。だからこそ、第1回浪漫ウォークに中城城を選んだ和々さんが凄いなと感じたわけです。
多くの県民が悲しんだ首里城火災ですが、個人的にこういうイベントに参加出来るときは積極的に参加し、より琉球の歴史を学んでいきたいなと思います。
今回はこの辺で。
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