尚泰久と万国津梁の鐘 ③
2018年10月11日
こんにちは、マルキヨ製菓広報担当の仲宗根です。朝晩はだいぶ涼しさを感じるようになってきました。昨日までは日中の最高気温が28度だったので、まだまだ暑いという印象でした。
しかし今日の午後から明日にかけては最高気温が22度まで下がるようで、急激な気温変化で体調管理に気をつけたいところです。
さて、先週、先々週の木曜日は尚泰久王の話をしてきました。
第5代国王・尚金福が亡くなった1453年、志魯・布里の乱(しろふりのらん)が勃発。後継候補の2人が死去した事により、尚泰久が第6代国王として即位。
⇒【 尚泰久と万国津梁の鐘 ① 】
乱れた国を立て直そうとした矢先、国内最大の内乱と言われる護佐丸・阿麻和利(ごさまる・あまわり)の乱が勃発。尚泰久王の娘・百度踏揚(ももとふみあがり)の祖父である護佐丸と婿の阿麻和利、有力者2人が死去。
⇒【 尚泰久と万国津梁の鐘 ② 】
1439年、英雄・尚巴志が亡くなると王族の間で後継者争いが起こるなど、首里城が炎上する事態にまで発展します。39歳で国王となった尚泰久王は何とか国の混乱を収めようとしますが、その願いとは裏腹に琉球は安寧の時を迎える事が出来ません。
1458年に起こった「護佐丸・阿麻和利の乱」で最大のピンチを迎えますが、娘の
百度踏揚と大城賢雄(うふぐすくけんゆう)のおかげで、そのピンチを乗り越えます。
この百度踏揚と大城賢雄についての後日談も記しておきましょう。阿麻和利討伐で活躍した大城賢雄はその戦功により、かつて尚泰久が治めていた越来間切(ごえくまぎり)の総地頭職へ就く事になります。
さらには王の娘である百度踏揚を妻に迎える事になりました。百度踏揚の視点に立つと、尚家の忠臣として名高い祖父・護佐丸を、夫であった阿麻和利に討たれ、その夫を討ったのが彼女の忠臣であった大城賢雄となります。
もともと不審な行動をとっていた阿麻和利を牽制するために、百度踏揚は政略結婚させられ、その下に尚泰久王が信頼する大城賢雄を置いたわけです。なので、大城賢雄との結婚は幸せだったのかもしれません。
結果として祖父を討った夫、夫を討った臣下と再婚する形となりましたが、そんな百度踏揚にはさらなる悲劇的な運命が待ち受けています。
1469年、第一尚氏を滅ぼす事になるのが、尚泰久王の重用した金丸(かなまる)です。いわゆるクーデターの形になり、金丸は第二尚氏の初代国王・尚円王として即位する事になります。
尚泰久王が重用したとりわけ重要な人物は2人、金丸と大城賢雄です。クーデターを起こしたのがその一人・金丸で、かつての同僚であった大城賢雄はクーデターの際に攻められ、洞窟に追い込まれたあげく火攻めで殺されたと伝わります。
百度踏揚は2番目の夫も殺された形になり、彼女の兄達も落ち延びていた玉城(たまぐすく)へと逃れ、その地で静かに余生を送りました。
わずか数年の間に、祖父(護佐丸)、夫(阿麻和利)、父(尚泰久:在位7年で死去します)を亡くし(この3人はわずか3年の間で亡くなっています)、さらには父の忠臣がクーデターを起こし、2番目の夫(大城賢雄)も殺された百度踏揚の心境は想像すら出来ません。
そんな悲運の女王の悲しい人生は、現代版組踊(くみおどり)として現代にも伝えられています。
護佐丸・阿麻和利の乱が起こったその年、尚泰久王は「万国津梁(ばんこくしんりょう)の鐘」の鋳造を命じ、それを首里城内に掲げました。鐘の表面にはたくさんの漢文が記されているため、中国から寄贈されたものと思っている人がいるかもしれません。
しかしこれは、れっきとした琉球王国産。「琉球国者南海勝地而」で始まる銘文の出だしは、「琉球国は南海の恵まれた地域に立地し」という意味で、琉球が交易によって東アジア・東南アジアの架け橋となる意気込みが綴られています。
この文章は「万国津梁の鐘」を象徴する銘文として有名ですが、実はこの文章、全体の4分の1にも満たない序文であり、その後に本文が続きます。
本文には「王大世主庚寅慶生尚泰久茲」と始まり、全体的な内容は「偉大なる尚泰久王は仏教を盛んにして法を定め、国家の再建を図った」となります。
護佐丸・阿麻和利の乱と同年に作られた事を考えると、尚泰久王の成果というより願望が綴られているようです。
ちなみに銘文の作成者は渓隠(けいいん)という名の相国寺の和尚さまで、鐘を鋳造したのは、藤原国善という人物です。
かつては首里城内にかけられていた万国津梁の鐘。現在は、県立博物館に収められ展示されています。
すこし、時代をさかのぼります。15世紀、まだ尚巴志が三山を統一する前、北山の王であったハンアンチ王は千代金丸(ちよがねまる)という名刀を携えていました。
今では国宝となっている千代金丸については、過去のブログでも取り上げています。
⇒【千代金丸】
尚巴志が三山を統一すると、千代金丸は尚家が宝刀として代々受け継いで行くことになりました。その柄頭(つかがしら)には、尚泰久王を表す「大世」の銘が刻まれています。
当時の琉球王国では国王が替わると、神々が祝福し、神聖な名前である「神号」を授けました。尚泰久王のそれは「那之志与茂伊大世主(なのしよもいおおよのぬし)」でした。「大世主」は支配者を意味する言葉です。
神号は主に神事で使われる名前ですが、尚泰久王は普段からも好んでこの名前を使い、千代金丸の塚頭にも神号の一部である「世主」の文字を刻みました。
万国津梁の鐘や千代金丸のエピソードを見ると、尚泰久王が心から国の安寧を願っていたんだろうなと伝わります。
今回はこの辺で話を止めたいと思います。また次回、尚泰久王についての治世を覗いてみたいと思います。
今回も【Dee沖縄】のサイトで【ハブでも分かる!?遺老説伝】を連載をされている
吉元あきこさんによる「百度踏揚」のイラストを使わせて頂きました。ありがとうございます。
SNSでは琉球関連のイラストを多くアップしていらっしゃいますので、是非、チェックしてみてください。
Twitter はこちら ⇒ 【吉元あきこ】
Facebookはこちら ⇒ 【吉元愛紀子】
さて、今日は朝から曇り空。今にも雨が降り出しそうな様子ですが、今調べると降水確率70%。外に出る際は、傘が必要ですね。
そして午後3時以降は、気温が22度まで一気に落ちます。つい最近まで28度はあっただけに、気温差で体調を崩さないように注意しましょう。
私も仕事がたくさん詰まっているので、体調を崩すわけにはいきません。たくさん仕事をして、たくさん世の中に貢献したいと思います!
今回はこの辺で。
Dee沖縄さんによる「マルキヨ製菓工場見学」の記事はこちらです。
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