針突③
2023年10月13日
こんにちは、マルキヨ製菓広報担当の仲宗根です。ここ最近はいい天気が続いています。今朝、洗濯物を干しましたが、いつもなら干し終える頃に汗が出て肌着を替えます。しかし、今日は涼しくてその必要はありませんでした。
少しずつ秋らしさが出ている沖縄と言えるでしょう。とはいえ、日中はまだまだ暑く、クーラーも必要です。ただ、クーラーを使用する時間は日々、減少していくでしょう。個人的には冬が大好きなので、その季節が待ち遠しいですね。
さて、今日は「針突(ハジチ)」に関するお話の続きとなります。
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琉球や奄美に住んでいた女性はかつて、自分の手の甲や指に「針突(ハジチ)」と呼ばれる入れ墨を施していました。約500年前にはその風習があったと言われていますが、1899年、明治政府によりそれは禁止されてしまいます。
⇒【針突①】
琉球王府において、神聖な儀式を執り行う役職のトップ「聞得大君(きこえおおきみ)」は女性が担います。ある年、舟の遭難により薩摩に流されてしまった聞得大君は、自ら針突を入れる事により、琉球へ帰国する事が出来ました。
⇒【針突②】
激痛の果てに
沖縄の言葉は名詞に「ER」をつけて「○○する人」という意味になったりします。例えば「ゆくし」は「嘘」という意味ですが、「ゆくさー」は「嘘つき」という意味になります。「ユーチューブ」に対して「ユーチューバー」が人を表すのと似ていますね。
「ハジチ」に対して「ハジチャー」という言葉もあります。これは「ハジチを施した人」ではなく、「ハジチを施す側の人」をさす言葉です。今で言う「彫り師」に当たる人物ですね。
ハジチを入れたい女性は、もちろんハジチャーに依頼し、施術してもらうわけです。「ハジチ」は「針突」と書きますが、文字通り針を指や手の甲に刺して、色素を注入する作業を施します。
女性側はかなりの激痛だったようで、あまりの痛みにそれが耐えきれない人もいたようです。また、その痛みに耐えるための対処法として、炒めた豆(イリチマーミ)や黒砂糖(クルザーター)を頬張ったそうです。
他にも氷砂糖やにぎり飯を食べながら施術してもらったようですが、人間の三大欲求の1つを満たす事で、痛みというネガティブなものと戦ったようですね。気合いで痛みに耐える人もいれば、泣き出してしまう人、耐えきれず途中で逃げ出す人もいました。
そんな強烈な痛みに耐え、ハジチを最後まで入れた人は、なんと家族や親戚がご馳走を作って「おめでとう!」とお祝いしたそうです。「ハジチを入れたお祝い」の事を、沖縄の言葉で「ティナーユーエー」や「ティナーイシーン」と言います。
そんな言葉が存在するぐらいですから、琉球の女性がハジチを入れる事は「とてもおめでたい事」という認識があったわけです。
しかし、そんなハジチが「恥ずかしい文化」と変遷していく事態が起きてしまいます。そのきっかけが、明治政府による「入墨禁止令」です。
あこがれから、さげすむ対象へ
かつて琉球や奄美に住んでいた女性が手の甲や指にほどこしていた入れ墨「ハジチ」。女性にとってハジチを入れる事は憧れでした。婚姻を機に入れる事もあれば、オシャレとして入れる事もありました。
そして、前回お話しした通り「ヤマトへ連れて行かれないため」という理由で、ハジチを施す女性もいました。いわば、一種の魔除け的な意味合いを持っていたわけです。
ハジチを入れる理由は個々に思うところがあったでしょう。琉球の女性は年頃になると、どんなハジチを入れるか悩んだりして、それも楽しみの1つだった事は間違いないようです。
そんなハジチですが、1899年に大きな転換期を迎えます。明治政府は、ハジチを禁止してしまったのです。「入墨は野蛮な風俗だから」というのがその理由です。
この「入墨禁止令」は1899年(明治32年)10月20日に施行され、もしハジチを入れた場合は、処罰の対象になりました。この法令が出た当初はまだ、ハジチに対してあこがれを持つ女性が多かったようで、法令施行後にハジチを入れた女性もたくさんいました。
禁止令の後にハジチを入れ、実際に罰せられた女性もいます。禁止された1899年10月から1905年の間まで、ハジチを理由として逮捕された女性の数は、なんと693名もいました。
禁止直後は、まだ「あこがれの対象」であったため、多くの女性が禁止後もハジチを入れ、実際に逮捕されたのです。生徒がハジチを入れようものなら、学校で教師に怒鳴られ、塩酸でハジチを強制的に消すという事態も起こったようです。
ハジチを入れる事は罰則の対象にもなるという事で、少しずつ「ハジチを入れるのは悪い事」という意識が、沖縄の中でも芽生えてくるようになりました。
かつてハジチを見た男性は「美しい」として、女性の美の一部と見なしていましたが、禁止令の後は「なんて野蛮な」「汚い」という意識に変わっていく事例も少なくなかったようです。
そして、「ハジチを入れた女性は妻にふさわしくない」という理由で離婚に発展したケースもありました。禁止令が出る前後で、ハジチに対する価値観は少しずつマイナスの方向へと進んでいったのです。
禁止令から時間が経つと、ハジチは「恥の文化」として世間に認知され、ハジチをした女性が差別を受けることも珍しくありませんでした。ハジチを入れた女性はカメラに写る時は手を隠したり、正面からの撮影は極力避けるようになったのです。
1879年、琉球から沖縄になり(琉球処分・廃藩置県)、明治政府は琉球の悪しき習慣としてハジチを禁止しました。しかし、ハジチは何100年も根付いた琉球女性の慣習であり、「禁止されてもハジチを入れたい」という女性はたくさんいました。
かつてキリスト教を禁止された後も隠れキリシタンがずっと信仰を続けたように、ハジチもまた隠れて施した女性達が一定数いたのです。それだけ琉球に根付いた、精神的な文化でもあったという事です。
今ではハジチを施した女性は沖縄にいないと言われていますが、私の周りには「昔、おばぁが生きていた頃、その手にはハジチをしていたよ」という人もいます。
かつて琉球に根付いた文化「ハジチ」は、女性の憧れからさげすむ対象になり、また令和になった今は「ハジチは素晴らしい」という人も増えてきました。
時代時代によって、人の価値観は変わるものですが、「猛烈な痛みに耐えてでも、ハジチを入れたい」と思った琉球女性がたくさんいた事は事実です。痛みに耐えてでも成し遂げる精神的な強さは、今の沖縄の女性にも見られるような気がします。
ハロウィン
10月も中旬になり、そろそろハロウィンの準備が慌ただしくなってきています。
ハロウィン用お菓子「パンプキンマフィン」は、すでに先行販売で店頭に並んでいますので、見かけたら是非、お買い求め下さい。来週はハロウィンの話や、ハロウィン用お菓子の紹介をする予定です。
今回はこの辺で。
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