慰霊の日
2023年06月23日
こんにちは、マルキヨ製菓広報担当の仲宗根です。風が強い金曜日、気温も高くて暑いです。マルキヨ製菓は県外の沖縄フェアでの注文が多数入っており
それらのお菓子をたくさん用意しているところです。また、今日は「慰霊の日」ということで、沖縄県内の小中学校はお休みとなっています。
今朝、出勤時に聞いたラジオではAM・FMを問わず、いろんな番組で「慰霊の日」特集を組んでいました。おそらく夜まで、「戦争」や「平和の礎」などのワードを耳にする事でしょう。
今回のブログでは沖縄にとって特別な日である「慰霊の日」についてお話しします。
平和の礎
1945年8月、日本は2つの原子爆弾を落とされ、終戦を迎える事になりました。全国各地で大きな被害を出した太平洋戦争において、日本で唯一地上戦が行われたのが沖縄です。その戦争の傷跡は、沖縄のいたるところに多く残っています。
例えば戦後78年という令和の現代でも、不発弾撤去の作業は行われています。沖縄県内にある全ての不発弾を処理するには、この先50年以上必要だとも言われています。
沖縄戦で命を落とした人の数は実に20万人以上。その半数以上は兵士ではない人たちであり、その中にはたくさんの子どもたちも含まれています。
那覇市の南に位置する糸満市には、沖縄戦に関する慰霊碑や資料館が設置されている平和祈念公園があります。その中で最も耳目を集めるものは、毎年県内のニュースでピックアップされる「平和の礎(いしじ)」でしょう。
「平和の礎」は沖縄戦終結から50年にあたる1995年6月23日に建設されました。沖縄戦で命を落とした方の名前が刻まれており、県内県外をとわず、敵味方も関係なく多くの名前が刻まれています。
平和祈念公園の中でもひときわ目立つ「平和の礎」には、年間を通して多くの人が訪れ、その前で手を合わせます。特に親戚などの身内の名が刻まれていた場合、その名前を目にして涙する人も少なくありません。
「平和の礎」には現在進行形で、刻まれる名前が増え続けています。戦後の追跡調査により、先の戦争で命を落とされたと認定された方は、新たにその名前が刻まれるのです。
3年前の2020年6月の時点では24万1566人の名前が刻まれていましたが、今年(2023年)6月現在の時点でその数は24万2046人となっています。この3年の間で480人も増えています。
最近、広島県の方296人が追加刻銘されたとニュースになっていました。彼らは1945年4月7日、鹿児島県沖で撃沈された戦艦大和の乗組員らだそうです。このように、新たな調査によって戦争被害者の名前が明らかになるたび、平和の礎にその名が刻まれていくのです。
もちろん戦争関連の調査は今も継続しており、刻まれる名前は来年以降も増え続けていく事でしょう。
私自身も平和祈念公園には何度か足を運んだ事があります。平和の礎がある場所はすごく広く、信じられないほど多くの名前が刻まれています。これだけの人が戦争で命を落としたかと思うと、胸が締め付けられる思いです。
いつ行っても多くの人がそこにいて、ある人は名前の前で手を合わせ、ある人は名前の前で涙したりと、戦後70年以上が経過した今も、戦争に対する複雑な思いを持ち続けている方は多いようです。
平和の礎と海岸を見渡せる場所に「平和の広場」と呼ばれる場所があり、慰霊の日にはその中心にある燭台に「平和の火」が灯されます。その「平和の火」に向かって、多くの方が手を合わせている事でしょう。
報道によると今朝の午前5時過ぎには、平和の火のところへ追悼に訪れた人がいたそうです。今日のテレビやラジオでは「慰霊の日」に関する様々な情報が流れますので、それに耳を傾け、自分なりに色々と考えるといいかなと思います。
平和祈念資料館へ
平和祈念公園に行くと、ほとんどの方は「平和の礎」に足を運びます。個人的には、その近くにある「平和祈念資料館」にも訪れて欲しいです。沖縄戦に関する資料や写真、当時の証言集など、戦争をリアルに感じられるものがたくさんある所です。
自分は証言集に目を通した時、すごくショックを受けました。あまりにも非現実的で残酷な内容が記されており、こんな事が実際に起こったなんて信じられないし、ただただ胸が苦しくなりました。
「それが戦争」とよく言われますが、沖縄戦を何とか生き抜いた方が、こうやって戦争のリアルな様子を伝える事はとても大事な事だと思います。
沖縄の学校では平和教育の一環として、平和祈念公園を訪れる事もあります。私も学生の頃、何度か訪れました。子どもにとって、平和祈念資料館で見聞きするものはショックが強いと思いますが、平和教育には欠かせない事でもあると思います。
学生・社会人を問わず、平和祈念資料館を訪れた事がない方は、一度は訪れる事を推奨します。そこで見たものに対して自分はどう思うのか、どう感じるのか。戦争や平和について考える、いいきっかけになるでしょう。
私は学生の頃、「人を殺すのも殺されるのも嫌。だから戦争は嫌」とレポートを書いた事があります。稚拙な表現ですが、今もその気持ちは変わらないですね。
慰霊の日
「慰霊の日」とは、どんな日なのでしょうか? 何故、6月23日なのでしょうか? 1945年6月23日、沖縄防衛第32軍司令官・牛島満中将と参謀長の長勇(ちょう・いさむ)中将が糸満の摩文仁(まぶに)で自決しました。
本土復帰(1972年)前、アメリカの統治下にあった沖縄では「慰霊の日」は県内の学校や企業はお休みでした。本土復帰後は日本の法律が採用されるため、「慰霊の日を休日とする」法的な根拠がなくなってしまいます。
そこで沖縄県は「沖縄県慰霊の日を定める条例」を1974年(昭和49年)に制定し、慰霊の日が休日となるようにしました。沖縄県の条例は以下の通りです。
【沖縄県慰霊の日を定める条例】
昭和49年10月21日 条例第42号
沖縄県慰霊の日を定める条例をここに公布する。
第1条
我が県が、第二次世界大戦において多くの尊い生命、 財産及び文化的遺産を失つた冷厳な歴史的事実にかんがみ、 これを厳粛に受けとめ、戦争による惨禍が再び起こることのないよう、人類普遍の願いである恒久の平和を希求するとともに 戦没者の霊を慰めるため、慰霊の日を定める。
第2条
慰霊の日は、6月23日とする。
この条例により、6月23日は県内の小中学校や一部の施設などがお休みとなります。今日は戦争で亡くなった方に手を合わせつつ、TVを見たりラジオを聞いたりして、今一度戦争や平和について考える1日にしましょう。
今回はこの辺で。
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