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首里城を救った男:鎌倉芳太郎②

2019年08月26日

 

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こんにちは、マルキヨ製菓広報担当の仲宗根です。写真は、先週土曜日に訪れたとある御嶽(うたき)のある場所の写真です。御嶽の外は暑かったですが、中はヒンヤリしていましたよ。

 

御嶽でパワーをもらってきましたので、8月最後の週も気合いを入れて頑張っていきたいと思います!

 

首里城を救った鎌倉芳太郎

 

前回ブログから「鎌倉芳太郎(かまくらよしたろう)」という人物にスポットをあて、記事を書いています。香川出身の彼ですが、鎌倉なくして沖縄文化の研究はなしえなかったと言われる程の人物です。

 

今回も鎌倉芳太郎のお話を続けたいと思います。前回は、東京にいた鎌倉が新聞記事で「2日後に首里城取り壊し」の記事を目にした後、迅速に行動し、伊東忠太という人物と共に取り壊しを止めたという内容でした。

⇒【首里城を救った男:鎌倉芳太郎①

 

鎌倉の働きかけがなければ、首里城は予定通り取り壊されていた事でしょう。そうなれば、今のように観光客で賑わう事もなければ世界遺産となる事もなかったわけです。

 

すんでの所で首里城取り壊しを止めた鎌倉芳太郎ですが、彼は「首里城を2度救った男」とも言われています。では、2度目に首里城を救ったとはどういう事なのでしょうか?

 

首里城復元

 

鎌倉芳太郎の業績はたくさんあるのですが、その中に「首里城復元」に大きく貢献したというのがあります。

 

首里城と言えば、沖縄の観光名所であり、世界遺産にもなっています。実はこの首里城、先の戦争で行われた沖縄地上戦、および戦後の大学建設により破壊されました。

 

1980年代後半から復元工事が始まり、それが終了したのが1992年。「思ったよりも最近だな」と思う人も多いのではないでしょうか?

 

鎌倉芳太郎は戦前の大正時代、首里城を撮影していました。そして首里城に関する色々な物を記した絵図資料も集めていました。例えば首里城の正殿に描かれた絵や彫刻、柱の正確な位置などを記した資料等です。

 

鎌倉はその資料を東京に持ち帰っていたため、沖縄での地上戦から免れる形になりました。そして首里城を復元する際、この資料が大きな参考になったと言われています。

 

そう。鎌倉芳太郎の資料があったからこそ、かつての首里城を正確に再現出来たのです。

 

逆に言えば、首里城に関する多くの資料が戦争で焼失していたわけですから、鎌倉の資料がなければ、首里城もかつての首里城としては復元されなかったわけです。

 

末吉麦門冬

 

「首里城取り壊し」を食い止めたというエピソードに戻りますが、鎌倉が「首里城取り壊し」の記事を見たとき、彼はただの研究員の1人に過ぎませんでした。

 

しかし、彼と共同研究にあたっていて、建築家としても名の知られた伊東忠太という人物が、政界にも大きなコネクションを持っていた事で、首里城取り壊しを食い止める事が出来ました。

 

鎌倉が首里城を食い止めようとした行動力はもちろん素晴らしいですが、伊東忠太という存在があってこそ取り壊し阻止に繋がったのです。

 

鎌倉本人だけでなく、彼と親交のある人物にも「鎌倉芳太郎」と「琉球」を強く結びつけるのに不可欠な存在が多いのです。

 

鎌倉芳太郎は大正13年(1924年)と大正15年(1926年)、沖縄の芸術や文化を調査するため沖縄に訪れ、建築物や工芸品の写真撮影やスケッチをとったり、多くの資料も集めました。

 

そんな鎌倉芳太郎が、沖縄で最も親交があったと言われる人物が末吉麦門冬(すえよしばくもんとう)という、俳人としても活躍したジャーナリストです。

 

彼は琉球新報などに勤めた経歴があり、俳壇やコラム執筆を担当。伊波普猷(いはふゆう)とも非常に深い親交があった事でも知られ、伊波普猷・真境名安興(まじきなあんこう)と共に「琉球文化史の三羽がらす」と呼ばれ、沖縄の文芸を大いに盛り上げた人物です。

 

伊波普猷は当時、県立沖縄図書館の館長であり、明治9年(1876年)生まれ。真境名安興は歴史学者であり沖縄学の研究者で、明治8年(1875年)生まれ。末吉麦門冬は、彼らより約10歳若い1886年(明治19年)生まれです。

 

ちなみに末吉麦門冬は、大正13年(1924年)、38歳の若さで亡くなっています(伊波普猷は71歳没、真境名安興は58歳没)。

 

鎌倉芳太郎は麦門冬の新聞記事などを切り抜き、それをノートに貼り付け、いわゆるスクラップブックにしていました。そして、そのノートが沖縄県立芸術大学に残っており、今でも貴重な資料となっています。

 

2人の間では手紙がやりとりが行われるなど、鎌倉にとって麦門冬は沖縄の文化文芸調査では欠かせない人物だったようです。

 

周りにも支えられ琉球文化の保全や研究を推進した鎌倉芳太郎ですが、さらなる業績が「紅型(びんがた)」にまつわるものです。後に人間国宝に指定される程の功績を残すのですが、その話はまた次回に持ち越したいと思います。

 

学生は2学期スタート

 

というわけで、学生の皆さん、2学期の学校はいかがお過ごしでしょうか? 夏休みの宿題は、きちんと終わらせましたか?

 

私が学生の時はけっこう真面目だったので、宿題はとっとと終わらせてしまうタイプでしたね。しかし、社会人になるとそうもいかず、仕事に追われる毎日です。笑

 

仕事は誠実にちゃんとこなす。これをモットーに、仕事に追われつつも、日々頑張っていきたいと思います。

 

学生の皆さんも、勉強は出来るときにやっておきましょう。夏休みの宿題は真面目にやっていた私ですが、今でも勉強はもっとやっておけばよかったと思っていますので。

 

学生の皆さんは勉強、私達は仕事、共に頑張っていきましょう!

 

今回はこの辺で。

 

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