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劇聖と呼ばれた男・玉城朝薫

2022年11月29日

こんにちは、マルキヨ製菓広報担当の仲宗根です。昨日はずっとどんより雲に覆われていた沖縄ですが、今日は晴れ。最高気温も28度まで上昇し、普通に暑いですよ。ただ、明日以降しばらくは曇りと雨の繰り返しという予報が出ています。

 

気がつけば明日で11月も終わり。明後日には師走突入で、2022年の終わりも近づいてきました。すでに忙しくしているマルキヨ製菓。なんとか年末年始を乗り切ろうと頑張っているところです。

 

さて、今日は久しぶりに琉球史の人物伝について書いていこうかなと思います。最近、私の周りで組踊(くみおどり)を見に行った人が何人かいましたので、その組踊の創始者である玉城朝薫(たまぐすくちょうくん)についてお話ししましょう。

 

玉城朝薫

玉城朝薫は西暦1684年、首里の儀保に生まれました。朝薫が4歳の時、父親がわずか25歳の若さで亡くなってしまうと、母は再婚するため家を出てしまいました。朝薫を残して。そんな朝薫を育てたのは祖父である朝恩でした。

 

この祖父、なんと玉城間切(たまぐすくまぎり)の総地頭であり、朝薫が8歳の時にその祖父が亡くなると、なんと朝薫がそのまま玉城間切の総地頭になりました。

 

13歳になると、朝薫は小姓として首里城で働く事になります。当時、首里城の役人に必要な素養として楽器を演奏したり、踊りを舞う能力が必要でした。そこで朝薫は楽器演奏や舞踊のけいこに力を入れます。

 

朝薫の芸能の才能は早くから注目されました。17歳の時、尚貞王の前で披露した大和芸能があまりにも見事で、褒美として「文弥」の名を賜りました。

 

19歳で元服(成人)し、20歳になると薩摩へ上る事も経験しました。21歳の時、越来王子(ごえくおうじ)のお供として再び薩摩に上ります。

 

2度目の薩摩訪問の時、薩摩藩主島津吉貴(しまづよしたか)の前で、「軒端の梅(のきばたのうめ)」という能の演目を披露。「軒端の梅」は日本舞踊、すなわち本土の踊りであり、それを薩摩藩主の前で披露できるほど、本土の舞踊にも精通していたのです。

 

徳川家宣が6代目の将軍に就いた時は、琉球からお祝いの使節団を送る、いわゆる江戸上りにも参加しました。朝薫25歳の時です。江戸上りの途中で人形芝居や能、狂言も自分の目で直接見て、日本文化も深く学んでいきます。

 

芸能面だけでなく、官吏としてもその力を発揮し、玉城間切の領主としてその有能さを認められ、王府から褒書を得るなど実績を積み重ねていきました。まさに芸能と領主の2刀流をこなしていったわけです。

 

生涯を通じて薩摩へは5回、江戸にも2回上った朝薫は、出向くたびに現地で大和芸能について学んでいきました。2度目の江戸上りでは、座楽主取兼通事役という重要な役職を持って出向きました。

 

組踊

朝薫が芸能面や仕事面で力を発揮していた時、琉球は中国との交易を盛んに行っていました。中国皇帝の使者である冊封使がやってくると、彼らをもてなすための音楽や踊りも指導していました。

 

江戸で観覧した能や狂言のような芸能を琉球の音楽や言葉で表現できないかを考えた朝薫は、琉球に伝わる話をベースにした新しいものを考え始めました。

 

護佐丸(ごさまる)阿麻和利(あまわり)の乱をモチーフとした『二童敵討(にどうてきうち)』という台本を書き、つづいて『執心鐘入(しゅうしんかねいり)』の台本を書きあげました。

 

台詞・音楽・舞踊が融合した【組踊】を、熱心に演者に指導する朝薫。当初は歌やせりふに戸惑う人々に批判される事もありました。

 

1718年に「御冠船踊の踊奉行」という役職に任命されると、翌1719年に冊封使をおもてなしする席にて、初めて組踊が上演されました。披露された『二童敵討』と『執心鐘入』は拍手喝采を浴び、組踊初演は見事大成功に終わりました。

 

この成功により、組踊を批判していた者達もその素晴らしさを認め、国王もその舞台に釘付けになったと言われています。これ以降、組踊は琉球の伝統芸能と称されるほど発展していくのです。

 

朝薫は『二童敵討』『執心鐘入』以外にも『銘苅子(めかるし)』『孝行の巻(こうこうのまき)』『女物狂(おんなものぐるい)』という台本も書きあげ、これらも冊封使の前で披露しています。

 

この5つは「朝薫の五番」と言われ、組踊の草創期の作品にもかかわらず、今も最高傑作と言われています。組踊を創始した玉城朝薫は、後に「劇聖」と呼ばれ、多くの人にその功績を称えられます。

 

50歳でこの世を去る朝薫ですが、後の人たちにも組踊は引き継がれ、沖縄の伝統芸能として、脈々と受け継がれていく事になります。朝薫の五番はあまりの完成度の高さに、「組踊は朝薫に始まり朝薫に終わる」と言われるほど。

 

彼の後に続く人々は、朝薫の五番を参考にして作品を書き綴っていきました。1972年に国の重要無形文化財、そして2010年にはユネスコの無形文化遺産にも登録されています。

 

玉城朝薫が創始した組踊は、新旧の作品を含め今も上演され続けています。朝薫が生誕して約340年。これからも組踊は沖縄の伝統芸能として愛され続けることでしょう。

 

実は子だくさん

玉城朝薫は子だくさんでも知られています。最初の奥さんとの間に四男三女をもうけたあと離婚。後妻との間にも子どもを授かり、結果として五男五女をもうけています。子どもが10人なんて凄いですね。

 

朝薫の生まれた儀保には「劇聖 玉城朝薫生誕之地」の碑があり、そこから歩いていける末吉公園には「玉城朝薫生誕300年記念碑」があります。さらに首里から経塚(きょうづか)方面の前田まで出向くと「玉城朝薫の墓」があります。

 

自分は首里に近い所に住んでいますので、いつかこれらの史跡も巡ってみたいなと思います。その時は、このブログを通じてレポートしたいと思います。

 

ムーチー

11月も明日で終わりですが、すでに来月の行事の準備で忙しくしているマルキヨ製菓です。12月30日にムーチー、その2日後に正月という行事日程のため、すでにスタッフ一同フル回転で頑張っていますよ。

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沖縄の皆さんが良い年末年始を迎えられるよう、行事面でしっかり支えていきたいと思います!

 

今回はこの辺で。

 

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