オヤケアカハチ
2022年08月26日
こんにちは、マルキヨ製菓広報担当の仲宗根です。8月も残り5日ですね。来週の今頃は9月になっています。未だに暑い日々が続く沖縄。9月になってこの暑さが少しでもやわらぐ事を期待します。
現在は大きな行事もなく、旧盆の時期に比べれば余裕を持ってお菓子を作ることが出来ています。行事の時にお供えするお餅やお菓子もオススメですが、お供え用ではないお菓子も、もちろんオススメです。
行事に追われることがない余裕のある日は、そういったお菓子をたくさん食べていただきたいですね。
「さぁーたーあんだぎー」や
「タンナファクルー」など、人気ありますよ。
さて、今回は琉球史に登場する、ある人物を紹介したいと思います。その人物とは、ズバリ「オヤケアカハチ」。「オヤケアカハチ」という名前は聞いたことある人も多いでしょうが、具体的にどんな事をした人かご存じでしょうか?
今回は平民のヒーローと言われ琉球王府に立ち向かった「オヤケアカハチ」について、簡単にお話ししてみたいと思います。
波照間島出身の男
オヤケアカハチは、八重山の波照間島の出身です。石垣島や西表島の南に位置する波照間島で、そこにはオヤケアカハチの生誕記念碑があります。生年月日など詳細は不明ですが、1400年代後半に活躍した人物です。
小さい頃から大きな体、強い腕力を持っていたオヤケアカハチ。たくましい青年になった彼は大いなる野望を持ち、波照間島から石垣島に渡って大浜村という場所を拠点に活動します。
当時の琉球は尚巴志が三山を統一したものの、志魯・布里の乱(しろ・ふりのらん)や、護佐丸・阿麻和利の乱(ごさまる・あまわりのらん)等で、国が乱れていた時代。石垣島も多くの有力な豪族らが争っていた時代でした。
成長し、筋骨隆々(きんこつりゅうりゅう)で非常にたくましい体のオヤケアカハチは周りの豪族らを打ち破り、メキメキと頭角を現すと大浜のリーダーとなります。
そして、拠点としていた石垣島を軍事的に制圧すると、石垣村の首長である長田大主(なあたうふしゅ)の妹と結婚することで、政治的にも石垣の統一に成功しました。
首里王府に反抗
オヤケアカハチが統一を果たした石垣島ですが、当時は首里王府へしっかりと貢ぎ物を納めるなど、特に緊迫した関係ではありませんでした。
アカハチは八重山(石垣島や西表島、波照間島を含む地域)を首里から完全独立する構想を抱いており、自らが石垣のトップへたった後は首里へ貢ぎ物を送るのをやめました。
さらには石垣各地にいる首長達に、団結して首里王府へ抵抗するように指示を出しました。しかし、ここで「待った」と声をあげたがアカハチの義理の兄にあたる長田大主。首里王府に対しては恭順する姿勢を見せていた長田大主は、アカハチに反発します。
「首里王府へ背く行為は許されない」とし、長田大主らはアカハチを討伐しようと試みます。ところがアカハチはそれを返り討ちにします。結果、長田大主ら首里王府との関係を望む勢力は西表島へ逃亡。
これにより、石垣島は完全にオヤケアカハチが統べる事になりました。勢力を拡大するアカハチの次の狙いは宮古島。宮古島も琉球王府へは恭順の姿勢を見せており、代々宮古島で首領をつとめている仲宗根豊見親(なかそねとぅゆみゃ)は危機感を募らせます。
やがて「石垣島 VS 宮古島」の敵対関係が鮮明になると、仲宗根豊見親は当時の琉球国王である尚真王に援助を要請。そして1500年、琉球王府は八重山に侵攻するため、大規模な軍を派遣する事になります。
オヤケアカハチの乱
琉球王府は宮古勢力も含め軍船46隻、兵員3000人もの大軍を石垣へ送り出します。石垣のオヤケアカハチの軍勢VS琉球王府軍。
石垣のアカハチ軍は水際で徹底抗戦し、王府軍もなかなか上陸できずにいました。そこで王府軍にいた久米島出身の君南風(きみはえ)というノロが、神のお告げとされる作戦を提案します。
ノロとは、沖縄の祭祀を司る女性。当時の尚真王時代に制定された神職の事で、かなり位としては高い役職に当たります。
君南風の指示に従い、王府軍は夜になると筏(いかだ)に松明をつけて南側の陸へ向けて送り出します。そこへアカハチ軍が誘い出されると、反対側の手薄になった新川(あらかわ)と登野城(とのしろ)から王府軍が上陸し、アカハチ軍を挟み撃ちにしました。
最後の最後まで徹底抗戦するアカハチ軍ですが、ついに力尽き、リーダーのオヤケアカハチは討ち取られてしまいました。こうして、俗に言う「オヤケアカハチの乱」は王府軍の勝利で幕を閉じる事になりました。
反逆者か? ヒーローか?
アカハチの死後、宮古島の仲宗根豊見親の息子が石垣島の頭職(かしらしょく)に任命され、統治する事になりました。そして西表島は、長田大主が入ります。いずれも首里王府へ恭順の姿勢を見せている者達です。
そして、その地域は重い税が課せられる事になり、住民は苦しむ事になります。このオヤケアカハチについて、琉球王府の歴史書では次のように描かれています。
「オヤケアカハチはおごりたかぶり、貢ぎ物を納めなくなった。周りを攻撃し、八重山を支配下に置くと、さらに宮古島まで支配下にしようとしたため、王府軍が出動した。46隻の船を出し、3000人の軍勢を出しアカハチを討った。1500年のことである」
王府からすると税も納めないし、地域を勝手に支配し、王府に反旗を翻した無法者という描写です。一方で税に苦しむ八重山の人たちを楽にさせるため、独立運動をしたとするヒーローとしての見方もあります。
「歴史は勝者が作る」と言われますからね。首里から見ると反逆者、八重山の人たちからするとヒーロー、それがオヤケアカハチなのです。
アカハチは2人?
球王府の歴史書によれば、オヤケアカハチは1人とされています。しかし、八重山や宮古に残る資料によれば、「アカハチ、ホンカワラの2人」「アカハチ兄弟」という記述が見られ、この騒動はアカハチ兄弟2人によるものだったとされています。
他にもアカハチは「外国の男と波照間島女性との間のハーフである」や、「ホンギルトンという韓国の義賊が琉球に流れ着き、それがアカハチである」という説などもあり、謎の多い人物となっています。
謎が多いというのも、その人物に惹きつけられる要素の1つかなと思います。皆さんの目にはオヤケアカハチはどんな人物として映っていますか?
今回はこの辺で。
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