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大山盛保と港川人

2023年11月7日

こんにちは、マルキヨ製菓広報担当の仲宗根です。今日もいい天気で、お昼ご飯を食べた後は眠気と戦わなければなりません。今日で11月も1週間ですが、クリスマスケーキの予約を始める店があるなど、少しずつ年末感が出始めています。

 

大きな行事のない11月。

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ムーチーの準備や

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新商品開発

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平常のお菓子作りを頑張っているマルキヨ製菓です。

 

さて、今回のブログでは大山盛保(せいほ)さんの話をしようかなと思います。知る人ぞ知る、港川人の発見者です。

 

大山盛保

大山盛保さんは1912年(大正元年)、今の北中城村に生まれました。彼の家系は護佐丸の子孫とも言われています。小学校を卒業すると、親と共にカナダへ渡ります。戦争時には強制収容所に入れられるという経験もしました。

 

戦後は米軍統治下の琉球に戻り、通訳の仕事などをしていました。戦後、焼け野原となった沖縄を見て、彼は何らかの産業を興して復興の一助になる事を考えていました。通訳の仕事のあと、弟・盛和さんとともに「OK運輸合資会社」を設立する事に。

 

沖縄での民間によるガソリンスタンド第1号を開設したのです。当時は徐々に車が普及してくる頃、ましてや車社会の沖縄という事で、この事業は大成功を収めるのです。そう、彼は実業家としても一流の人物なのです。

 

そんな彼が化石調査を始めるのは55歳になってから。1967年の事です。その年の11月、今の八重瀬町湊川の石材店で購入した庭石に「化石のようなものがついている」事に気づきました。

 

私のような凡人なら「何かの化石かな?」で、そのまま終わりますが、彼は違います。「これはいったい何だ?」と思っただけでなく、実際にそれを鑑定に回し、その結果「化石のようなもの」が「イノシシの化石」である事が判明しました。

 

港川には石切場があり、石灰岩がたくさ算出したこの地域は1900年代に採石事業が活発に行われていました。そこで採れた石にイノシシの化石が交ざっていた。という事は、そのイノシシを追っていた人がいるかもしれない。大山盛保はそう考えたわけです。

 

彼は庭石を購入したお店から港川の石切場を突き止め、そこに大昔の人骨があるかもしれないと思い、発掘作業をする事になります。

 

人骨の発見

1967年11月、自らの足で港川の石切場にたどり着いた大山盛保は、そこで発掘調査を行いました。彼は会社の経営者ですから、昼はガソリンスタンドのお仕事、発掘作業は夕方6時頃から、しかも個人で行っていました。

 

時には車のヘッドライトを発掘現場に照らしながら作業を行ったといいます。鹿やハブ、鳥の化石が見つかった事から、大山は当時の人間が捕らえた獲物をここで確保していはずだと確信するようになります。

 

「この地域に住んでいた大昔の人間がいる」。大山はそんな予想を何人かの考古学者にも伝えましたが、それに賛同する者はほとんどいませんでした。大山は専門書を自分で読み、時には専門家の意見も求め、アマチュアながらも考古学の知識を身につけていきます。

 

そして、港川に「人骨も必ずあるはずだ」と信じて発掘調査を継続して行い、1968年1月、ついに人骨と思われる一部を発見したのです。当時、別の調査で沖縄を訪れていた東京大学の鈴木教授に化石の鑑定を依頼。

 

そして「これは人骨である」という鑑定結果が得られました。この人骨発見をきっかけに、人類学者・考古学者のチームが編成され、本格的な調査が行われるようになりました。そこからは完全体に近い人骨もいくつか発見され、これが「港川人」と称されるのです。

 

本格的な調査を行った当初、人骨はなかなか発見されませんでした。地下20mで完全体に近い人骨が発見されますが、その第一発見者はなんと大山盛保本人でした。

 

そしてその化石人骨は、鑑定の結果なんと2万2000年も前のものである事がわかりました。人類学的にも大発見となった「港川人の人骨」は、当時の沖縄がどのような自然環境にあったのかを知る研究にもつながっています。

 

学会の常識を覆した

大山盛保は学者ではないアマチュアの考古学者ですが、港川人の人骨発見以外にも大きな功績をいくつかあげています。

 

港川遺跡では多くのイノシシの化石が発見されています。沖縄のイノシシは人が持ち込んだ豚が野生化したものと考えられており、だとすればそれを持ち込んだであろう人骨と共に、古いものではないと思われていました。

 

放射性炭素による年代測定の結果、これらは1万8000年以上前のものである事が判明し、当時考えられていたイノシシのルーツよりはるかに昔である事がわかりました。大山さんの発見は、沖縄の化石研究に新たな知見を与えたというわけです。

 

また、彼は1970年、今の南城市の採石場で大型リクガメの骨を発見しています。実はこれが新種のリクガメであり、「オオヤマリクガメ」と彼の名を冠した名前が与えられているのです。

 

購入した庭石に「動物の化石らしきもの」を見つけたのが大山さん55歳の時。そこから、アマチュアの考古学者として発掘事業に携わり、港川人や新種リクガメの発見をするなど、考古学会に大きな功績を残しました。

 

新種リクガメの発見により、1995年には古生物学会より貢献賞を授与されています。1996年に彼はこの世を去りますが、生誕100周年にあたる2012年には日本人類学会から学会功労賞も授与されています。

 

この学会功労賞がアマチュア研究者に与えられたのは史上初の事で、それほど港川人の発見は人類学にとっても大きな価値ある事だったのです。

 

ヤンバルクイナ

実は港川遺跡からはヤンバルクイナの化石も見つかっています。今では沖縄本島北部「ヤンバル」という地域にしか生息していないこの鳥。ヤンバルは自然豊かな地域で、その地域以外にヤンバルクイナはいません。

 

昔の沖縄は今よりも平均気温が低い事もわかっており、当時の沖縄は全体的にヤンバルのような自然環境が豊かな地域だった事が推測されています。大山盛保による港川遺跡の発掘は、沖縄全体の歴史や自然環境を研究するきっかけにもなっているのです。

 

港川遺跡公園

港川人の人骨発見の舞台となった「沖縄県島尻郡八重瀬町港川」。今では「港川遺跡公園」として、発掘の歴史や港川人について知る事が出来ます。沖縄の人はもちろん、観光の方にも訪れて欲しいスポットですね。

 

私はまだ行った事がありませんが、近いうち必ず行こうと思っています。その際はブログでも紹介したいなと思います。特に今日みたいないい天気の日に訪れると、気持ちよく遺跡を見て回れそうです。

 

大昔の沖縄に思いをはせながら、午後の仕事も頑張りたいと思います。

 

今回はこの辺で。

 

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