伊平屋嶋玉陵公事帳【清明③】
2023年04月7日
こんにちは、マルキヨ製菓広報担当の仲宗根です。今日は朝から曇り空。お昼前には雨も降ったりして、パッとしない天気の金曜日。そして、新年度になり1週間が経とうとしています。
2日前の4月5日、二十四節気の1つ「清明」になり、沖縄ではシーミーのシーズンが到来しました。マルキヨ製菓は行事用お菓子を日々、製造しています。ゴールデンウィークあたりまでシーミーが続くので、忙しい日々はまだまだ続きます。
県内各スーパーにて販売中の
マルキヨ製菓のお餅やお菓子をよろしくお願いします。
ここ最近はシーミーに関する記事を綴ってきました。今回もそのお話をしようと思います。
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二十四節気の1つ「清明」は「清浄明潔(しょうじょうめいけつ)」を略した言葉。その意味は「万物が清らかで生き生きした状態のこと」となります。中国ではこの時期、墓参りをしてご先祖様に豊作祈願をします。その行事が18世紀に琉球へもたらされました。
⇒【清浄明潔】
2日前の4月4日、伊是名村の玉御殿(たまうどぅん)で「公事清明祭(クージヌシーミー)」が行われました。伊是名村ではこの「公事清明祭」が終わってから、一般のシーミーが行われる事になります。「公事清明祭」とはどんなものなのでしょうか?
⇒【公事清明祭】
伊是名のシーミー
琉球の歴史書『球陽』によると、1768年、当時の琉球国王・尚穆(しょうぼく)王が王家の陵墓である「玉陵(たまうどぅん)」でシーミーを行ったという記録があります。そして、この年以降、王家によりシーミーは毎年行われています。
尚穆王は第2尚氏第14代国王です。尚巴志の血筋が王家から排除され、金丸という人物が新たに尚(しょう)の姓を名乗り、尚円王として王座に就きます。尚円王以降の王家を、尚巴志の血筋からなる王家と区別して第2尚氏と言います。
第2尚氏は第19第の尚泰(しょうたい)王まで継続します。琉球処分により琉球王朝は幕を閉じ、尚泰王は琉球最後の国王となりました。ただし、琉球処分の後も、王家によるシーミーは継続されていました。
しかし戦争により王家によるシーミーが中断されると、半世紀以上も沈黙を保つ事になります。この沈黙を破ったのが、琉球最後の国王・尚泰王の玄孫(やしゃご)にあたる、尚衛(しょうまもる)さんです。
王家の親族が眠る玉陵は、首里だけでなく伊是名(いぜな)島にもあります。この島は第2尚氏初代国王・尚円王の故郷です。伊是名の玉陵に眠っているのは、主に尚円王の親族になります。
尚円王の父である尚稷(しょうしょく)らが眠る伊是名の玉陵は、尚衛さんの父親である尚裕(しょうひろし・1997年没)さん(第2尚氏22代目当主)の遺骨も納められています。
尚泰王のひ孫で歌人としても知られる井伊文子(いいふみこ・2004年没)さんも分骨されています。ちなみに、井伊文子さんの夫は桜田門外の変で暗殺された大老・井伊直弼のひ孫にあたる井伊直愛(いいなおよし)という人物です。
第二尚氏の始祖・金丸(後の尚円王)の子孫にあたる四つの家柄は「四殿内(ゆとぅぬち)」と呼ばれ、伊是名の玉陵では彼らを中心にシーミーを行います。そのシーミーを特に「公事清明祭(クージシーミー)」と言い、3日前の4月4日にも行われています。
伊是名の玉陵で「公事清明祭」が初めて行われたのは1870年。琉球王朝最後の国王である尚泰の命令によります。首里の玉陵で最初にシーミーが行われたのが1768年ですから、約100年の開きがあります。
1872年から1797年の間に行われた琉球処分により、琉球王朝は消滅します。琉球処分が始まる直前の1870年、初めて伊是名村でシーミーが行われました。何故、琉球王朝が消える直前に、伊是名のシーミーが行われたのでしょうか?
意外かもしれませんが、それは「明治維新」と関係します。薩長同盟、無血開城、大政奉還、明治維新… 幕末から明治にかけ、激動の時代となった日本。後に琉球処分を下される王朝も、不安定な情勢を十分感じ取っていました。
そんな不安定な情勢に対応するため、当時の琉球国王がとった行動が「ご先祖様の供養をしっかりやり、ご先祖様に明るい未来へ導いてもらおう」でした。それが、「伊是名村の玉陵で清明祭(シーミー)をやる」ことに繋がるのです。
戦争の混乱により、王家によるシーミーが途絶えると、それは半世紀以上も続きました。そのシーミーが復活したのは5年前の2018年になります。
伊平屋嶋玉陵公事帳
尚家によるシーミーを復活させる事になる尚衛さんは1950年、東京生まれです。「琉球国王の血を引くのに東京生まれ?」と思った方もいるかもしれませんが、それは「琉球処分」が関係しています。
明治政府による廃藩置県において、首里城は明治政府所有となりました。琉球国最後の国王・尚泰王は首里城を明け渡した後、東京移住を命ぜられます。それゆえ、尚泰王以降の尚家の血筋は東京を中心に居住を構えていくのです。
尚家王族の陵墓である首里の玉陵は、尚衛さんの父にあたる尚裕(しょうひろし)さんにより、1992年に那覇市へ寄贈されました。2000年に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」という名称で、首里の玉陵も世界遺産に登録される事になります。
尚家の手を離れていた玉陵ですが、尚衛さんは「尚家によるシーミー」を復活させようと動いていました。復活させるにあたり、それがどんな内容だったかを調べるところから始まります。
どんな道具が使われたのか? どんなお供え物があったのか? どのような手順で儀式を行ったのか? 伊是名の公事清明祭で使われていた道具は、四殿内の1つである銘苅(めかる)家に残っていました。
そして、公事清明祭の内容については「伊平屋嶋玉陵公事帳」という古文書にその記録が残っていたのです。1870年、尚泰王の命によって伊是名でもシーミーが行われる事になりましたが、伊是名の役人達は首里玉陵で行われていたシーミーを参考にしました。
そして独自に「何をお供えし、どのような手順でシーミーを行うのか?」のマニュアルを作成。本家首里によるシーミーに準じているため、その内容は非常に細かいものでした。
それが「伊平屋嶋玉陵公事帳」であり、今から150年前に編集されたのですが、何とそれが現存していたんですね。この史料は、首里玉陵でシーミーを復活させる際の大きな参考となるのです。
話が長くなってしまったので、この続きは次回という事にしましょう。
明日あさっての土日でお墓参りをする人も多いかもしれません。今日は天気悪いですが、土日は晴れの予報が出ています。ただ、最低気温16度まで下がる見込みなので、墓参りの際は暖かくしていきましょう。
沖縄の皆さんが、いい形でシーミーを迎えられますように。
今回はこの辺で。
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