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公事清明祭【清明②】

2023年04月4日

こんにちは、マルキヨ製菓広報担当の仲宗根です。太陽の光もまぶしく、穏やかな天気の火曜日。外を歩くと、じんわり汗が流れます。朝方は少しの肌寒さが残るものの、日中は暑さを感じるほどになりました。

 

今週は学校の始業式や入学式があります。その日の最高気温は25~26度。生徒の皆さんは、暖かい中で新学年を迎えられそうで何よりです。沖縄の入学式は半袖の夏服で出席する事が多いですから、気温が15度とかにならなくてよかったです。

 

さて、いよいよ明日から「シーミー」の時期がやってきます。ご先祖様のお墓参りをする行事の事ですが、約1ヶ月に渡って行われる行事のため、マルキヨ製菓はその期間ずっと忙しくなりますよ。

 

前回に引き続き、今回も「シーミー」に関するお話となります。

 

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二十四節気の1つ「清明」は「清浄明潔(しょうじょうめいけつ)」を略した言葉。その意味は「万物が清らかで生き生きした状態のこと」となります。中国ではこの時期、墓参りをしてご先祖様に豊作祈願をします。その行事が18世紀に琉球へもたらされました。

⇒【清浄明潔

 

神御清明

明日、4月5日水曜日は二十四節気の1つ「清明(せいめい)」です。「清明」は沖縄の言葉で「シーミー」と言い、ご先祖様のお墓参りをして手を合わせる行事を執り行います。

 

必ずしも4月5日に行事を行うというわけではなく、親族が集まりやすい土日に合わせてお墓参りをするところも多いですね。ゴールデンウィークにやる家庭もあります。この時期、土日の霊園はかなり賑わうのが沖縄の風物詩と言えるでしょう。

 

そんな「シーミー」ですが、大きく分けると2つの種類があります。1つは家族や身近な親族で行う一般的なシーミー。もう1つは「神御清明」と書いて「カミウシーミー」と呼ばれるシーミーです。

 

「カミウシーミー」は簡単に言うと「本家のシーミー」で、通常のシーミーより先に行う地域が多いです。

 

父方の共通祖先を持つ血縁関係者を「門中(もんちゅう)」といい、沖縄の言葉では「ムンチュー」といいます。この「ムンチュー」に関しては、ちょっとした歴史がありますので、それを紹介しましょう。

 

琉球王朝時代の17世紀後半、王府は士族の家譜を調査し、その結果を記録して取りまとめました。血縁関係のグループが明文化されると、琉球で行われた色々な行事はムンチュー単位で行うようになっていきます。

 

首里城のある首里を中心に多くの士族がいるため、ムンチューが発達するのは首里が中心です。特にご先祖様に対する行事は、ご先祖様の血が色濃く受け継がれているムンチューがまず先に行います。

 

ムンチューによる行事が終わった後で、家族単位や身近な親族で行事を行うという流れが出来ました。シーミーもまた、その流れを受け継いでいるわけです。

 

このムンチューによるシーミーが「カミウシーミー」と呼ばれるものです。本家にムンチュー単位で集まり、ご先祖様にお供えするためのクヮッチー(ごちそう)やお酒、お菓子を準備し、遠い祖先の眠るお墓を巡拝します。

 

その後で行われる通常のシーミーは、身近な親族のお墓参りをする事になります。「カミウシーミー」は二十四節気「清明」の日に行う事が多く、通常のシーミーは土日や祝祭日を利用して行うところが一般的ですが、地域によっても細かな違いはあります。

 

何かと忙しい現代社会ですから、平日に「カミウシーミー」を行うのが難しいという事で、「清明」を迎えた最初の土日でやるというのも珍しくはありません。大事なのはご先祖様を敬う気持ちかなと思います。

 

球陽

琉球の歴史を記録した『球陽(きゅうよう)』という史料があります。1743年から45年にかけて編纂されたもので、その後も100年以上にわたって追記がなされており、琉球史を研究するための重要な歴史書です。

 

この『球陽』の中には、琉球国王である尚穆(しょうぼく)王(在位:1752年~1794年)がシーミーを行ったという記述があります。1768年、王家の陵墓である玉陵(たまうどぅん)でシーミーを行った後、それ以降毎年シーミーを行っていたとのこと。

 

当時は国王が士族らに指示を出して行事を執り行っていたようで、一般庶民にはまだ浸透していなかったようです。一般庶民がシーミーを行うようになるのは琉球王国末期の頃だと言われています。

 

公事清明祭

実は今日4月4日、午前10時から伊是名の玉御殿(たまうどぅん)で「公事清明祭(クージヌシーミー)」が行われています。いわゆる王家によるシーミーであり、二十四節気「清明」の前日までに行われます。

 

一般のシーミーはこの「公事清明祭」が終わらないと行う事が出来ません。今、このブログを執筆中の間、伊是名村では厳かに行事が執り行われている事でしょう。この「王家によるシーミー」について少しお話ししましょう。

 

琉球王国は1879年に消滅してしまいますが、尚家によるシーミーは一時の中断を挟み、令和になった今も続いています。

 

南山・中山・北山で琉球の覇権を争っていた戦乱の時代、それを統一したのが尚巴志。1429年に琉球統一を成し遂げると、初代国王には尚巴志の父、2代目国王には尚巴志本人、以降、彼の子孫が国王となり、琉球を治めていきます。

 

1469年にクーデターが勃発。尚泰久(しょうたいきゅう)王の側近だった金丸(かなまる)が、尚巴志の子孫を王府から排除。自ら尚円(しょうえん)王として琉球王国を治めるようになります。

 

この尚円王以降の王党は、尚巴志の血筋とは区別して、第2尚氏と呼ばれます。この尚円王の出身が伊是名村であり、それが公事清明祭と繋がります。

 

中国から輸入された行事「シーミー」。琉球国王として最初にこれを行った尚穆王は第2尚氏第14代国王です。琉球処分により琉球王国は滅亡してしまいますが、その後も第2尚氏の血を受け継ぐ子孫により、王家によるシーミーは継続しています。

 

戦後まもなくすると、尚家によるシーミーは中断します。それが復活したのは今から5年前の2018年。当時の沖縄のニュースで、かなり大きく取り上げられていました。

 

シーミーを復活させたのは第2尚氏第23代当主となる尚衛(しょうまもる)さん。琉球国王最後の王である第2尚氏第19代国王・尚泰(しょうたい)王の玄孫(やしゃご)にあたります。

 

この王家によるシーミーはまた、一般のシーミーとは全然違います。その話は次回に続くこととしましょう。

 

沖縄県内各スーパーでは「清明祭」のコーナーが特設され、ご先祖様にお供えするお菓子がたくさん並んでいます。マルキヨ製菓からも

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たくさんのお供えお菓子をリリースしていますので、店頭で見かけたら是非、手に取って下さい。行事とは関係なしに、3時のおやつとしてもオススメしています。この機会にたくさん食べていただければ幸いです。

 

新年度もマルキヨ製菓は沖縄の行事を支えるため、たくさんのお菓子を作り続けます。そんなマルキヨ製菓のお菓子たち、今年度もよろしくお願いします!

 

今回はこの辺で。

 

平日は毎日更新。Facebookもよろしくお願いします。

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