旧盆② ~ 「盆踊り」と「エイサー」 ~
2016年08月8日
こんにちは、ブログ担当の仲宗根です。ここ数日、沖縄の天気は非常に不安定です。雨だけでなく、すごい雷がピカッと光り、ドドーンと轟音が鳴り響く。そんな日々が続いています。
今日は朝から嬉しいニュースがありました。大好きなイチロー選手が、メジャー通算3000本安打を達成しました。LIVEでその瞬間、あわやホームランの3ベースヒットを見ることが出来て、朝からテンション上がっています!
さて、明日は【旧暦の七夕】の日です。以前、紹介した通り、【旧暦の七夕】は「旧盆に向けての準備をする日」であり、普段のタブーを気にせず、例えばお墓の移動であるとか洗骨といった儀式を行える日でもありました。
また、明日は長崎に原爆が投下された日でもあります。沖縄だけでなく、明日は全国的に亡くなったご先祖様に手を合わせる人がたくさんいる事でしょう。
「お盆」の風物詩の1つと言えば「盆踊り」ですが、沖縄では「エイサー」という琉球独自の踊りがあります。というわけで、今回は「盆踊り」と「エイサー」についてのお話です(内容の多くは、去年からの抜粋となります)。
【盆踊り】の起源は「踊り念仏」と呼ばれるもの。仏教信仰の1つである「念仏を唱える」と、芸能の「皆で踊る」が結びついたものであり、鎌倉時代に「一遍(いっぺん)」らが全国を旅しながら広めたものです。
太鼓などの楽器を打ちたて、踊りながら念仏を唱える「踊り念仏」。「念仏を唱えることで救済される」喜びを激しい踊りで表現し、それが庶民の間でブームとなり広がっていきました。貴族も庶民も全てを忘れ、いわゆるトランス状態になり、念仏を唱えながらひたすら踊り続けました。
やがて時が流れると、宗教面よりも芸能面の方が色濃く残っていき、派手な衣装や道具、音楽などがバラエティ豊かになっていきます。 宗教色が強い頃は、「念仏を唱える」事が中心なので「踊り念仏」と言いますが、芸能面が強くなるとメインは「踊り」。という事で、これを「念仏踊り」と言うようになります。そのシフトが徐々に行われていったのが室町時代です。
この「念仏踊り」は当初、決まった時期に行われたわけではありません。「念仏踊り」の中でも「夏のお盆の時期に踊る念仏踊り」が、初期「盆踊り」の起源となります。
「盆踊り」として独立した地位を築くのは、応仁の乱の後の16世紀にかけて。まさに全国の有力大名達が覇権を争った群雄割拠の戦国時代です。舞台は京の都、その踊り手は経済力のある町衆でした。
ですから、今のような「一般市民参加の踊り」ではなく、「セレブのダンス・パーティ」というイメージになります。それが武士、貴族、やがては一般民衆にも広がっていき、そうなる頃には「宗教色」はだいぶ薄れていったようです。
やがて戦国の世も終わりを告げ、天下太平の江戸時代が訪れます。その頃には、村落共同体の形が出来上がり、今に伝えられる各地域での盆踊りの原型が生まれていく事になります。浴衣を身につけて踊り、「盆踊り」という名称も定着していったのがこの時代。
もともとは旧暦の7月15日に行われていた盆踊り。という事は、満月の下で華やかに踊っていたという事です。ちなみに「盆」の語源は「盂蘭盆会(うらぼんえ)」からきており、さらにその意味は「逆さづり」だという話を前回やりました。という事は「盆踊り」というのは「逆さづり踊り」という事になります。笑
さて、今度は「エイサー」のお話。沖縄では「盆踊り」よりもメジャーな踊りです。
沖縄本島と奄美を含む周辺地域で行われる盆踊りの事ですが、各地域の青年会によってその踊りの型は様々。旧暦の7月15日、ウークイで先祖を送りだした後、三線(サンシン・三味線の事)や太鼓(パーランクー等)を持ったニーセーター(青年たち)が行列をなし、各家々を回り練り歩きます(道ジュネー)。
家々では祖先の霊をお送りし、家族の繁栄・無病息災等を祈ってジウテー(地謡・唄い手やサンシン弾きの事)の唄に合わせて踊ります。沖縄の夏を彩る風物詩であり、今ではお盆に限らずいろんな場面で年中披露されるまでになりました。
小中学校の運動会や学芸発表会などで、必ずといっていい程披露される「エイサー」。沖縄県民なら「1度は踊った事がある」と言われています。
その「エイサー」の起源についてですが、確実な事はわかっていないそうで、いくつかの説があります。それらを紹介しましょう。
まずは「エイサー」という呼び名。これは大きく2つの説が唱えられています。1つは念仏歌の中での囃(はや)し言葉という説。エイサーも元々は念仏踊りですから、浄土宗系の念仏歌に挟まれる囃(はや)し言葉の一つ「エイサー、エイサー、ヒヤルガエイサー」から「エイサー」が来たと言われています。
「エイサー、エイサー、ヒヤルガエイサー」。これは現代エイサーでも歌われますが、元々は念仏歌の囃し言葉の1つだったんですね。
もう1つの説はこちら。16世紀以前、琉球に存在した集団で踊る「ゑさおもろ(エサオモロ)」という舞踊がありました。その言葉から「エイサー」という単語が生まれたという説があります。
「エイサー」。果たして念仏踊りの囃し言葉からきたのか、琉球における集団舞踊「ゑさおもろ」かきたのか… あなたは、どちらと思いますか?
次に「エイサー」の「踊り」の方の起源ですが、こちらもいくつかの説があります。今述べた、集団舞踊の「ゑさおもろ」こそが、「エイサー踊り」の最初の起源だとする説(確定した説ではありません)がまず1つ。
ちなみに「ゑさおもろ」は、琉球王国の資料「おもろさうし」に出てくる言葉です。しかし沖縄本土に広まったという点では、次の説が有力とされています。
1603年、現在の福島県いわき市出身の袋中上人(たいちゅうしょうにん)という浄土宗の僧が、明(今の中国)を目指す途中で琉球に辿り着きました。念仏を広めるため、彼の出身である東北地方のジャンガラ踊りに経文(きょうもん)をつけ、「念仏踊り」として琉球に広めていったそうです。
その経文の1つが親への孝行を解く「継母念仏(ママウヤニンブチ)」であり、これがエイサーの起源の有力な説だと言われています。
首里王府が著した「琉球国由来記」によれば、「袋中上人(たいちゅうしょうにん)が仏教文句を俗にやわらげ、初めて那覇の人々に伝える。これが念仏の始め」という記述があるそうで、それ故、袋中上人(たいちゅうしょうにん)こそがエイサー踊りの始祖だという風に言われています。
こちらも「盆踊り」同様、最初は王家や貴族等身分の高い人達を中心に広まります。18世紀頃は、首里士族の屋敷で念仏を唱える人を招いて先祖供養を行う風習がありました。その頃は、「門付歌(かどづけうた)」と「念仏歌」と呼ばれる歌で踊っていて、今のエイサーのようなハデさはありませんでした。
やがて沖縄独特の音楽などとも融合し、士族から一般民衆の間にゆっくりとそれらの風習が広がっていくことになります。
エイサーといえば独特な白塗りメイクと、滑稽な踊りでエイサーを盛り上げる「チョンダラー」が、ひときわ目立ちます。エイサーを琉球の人達へ実際伝えたのが、実はこのチョンダラー(京太郎)なのです。袋中上人(たいちゅうしょうにん)がエイサー広報部のTOPなら、チョンダラーは現場へ赴く営業部のTOPというイメージでしょう。
「京都からやってきた芸能集団の太郎」という事で、京太郎(チョンダラー)と言うのですが、その正確な由来は不明だとか? そういうミステリアスな部分も、エイサーを盛り上げる要因の1つかも知れません。
今回紹介した以外に、多少の細かい流れはありますが、おおまかな「盆踊り」「エイサー」の起源は今回紹介した通りです。というわけで、今回は「盆踊り」と「エイサー」のお話でした。
オリンピックも始まって、盛り上がっているようですが…。こちらはお仕事優先。まずは明日の【旧暦の七夕】、そして来週の「旧盆」に向け、マルキヨ製菓スタッフ一同、お供え用のお菓子をものすごくたくさん作っています。
沖縄で「お盆」と言えば「旧盆」の事ですが、今年は新暦のお盆と重なる珍しい年です。もし、よろしければ沖縄県外の方も、マルキヨ製菓のお菓子をお供えしてみてはいかがでしょう?
【やきまんじゅう】
【コンペン】
【レモンケーキ】
【チョコマドレーヌ】
【マドレーヌ】
【かるかん】
【蒸しまんじゅう】
など、お供え用のお菓子はネットでも注文できますよ。皆さんが、よいお盆を迎えられますように… 今回はこの辺で。
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