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伊波普猷

2021年09月3日

こんにちは、マルキヨ製菓広報担当の仲宗根です。昨日までは毎日のようにいい天気でしたが(たまにカタブイはありましたが)、今日は朝からザーザー雨が降った時間もありました。まぁ、たまにはこんな日もあるかなという9月3日です。

 

9月最初のブログ更新という事になりますが、今回は伊波普猷について話してみたいと思います。

 

伊波普猷の墓は浦添市にある

マルキヨ製菓があるのは沖縄県の浦添市という所ですが、この浦添市に伊波普猷のお墓があります。琉球王国発祥の地と言われる浦添城(ぐすく)跡地は、今は「浦添グスク・ようどれ館」という施設があり、観光スポットの1つとなっています。

 

この施設の駐車場に車を止め、上り坂を登っていくと伊波普猷のお墓があります。私は2~3度、この地を訪れていますが、本当にひっそりと静かな場所にあるんですよね。「沖縄学の父 伊波普猷」と書かれた碑を見る事が出来ます。

 

生い立ち

伊波普猷は1876年3月15日、現在の那覇市に生まれました。当時は琉球処分のまっただ中なので、混乱期の沖縄に生を受けた事になります。

 

子どもの頃から非常に優秀で、東京帝国大学、いわゆる現在の東京大学に進学して言語学を専攻。卒業後は沖縄に戻り、沖縄県立図書館の初代館長を務めます。その責務を果たしながら、沖縄関連の研究資料を収集。後に「沖縄学の父」と呼ばれる道を歩み始めます。

 

貴重な沖縄の資料を多数保管している沖縄県立図書館ですが、現在は那覇市泉崎にあります。9月12日までコロナ対策の一環として閉館中とのこと。この期間が延びない、すなわちコロナが少しでも収まる事を願います。

 

沖縄県立図書館が開館したのは1910年(明治43年)8月1日。沖縄の人達に学びの場を与えようという事で創設されました。伊波普猷は「沖縄の歴史・文化の素晴らしさを沖縄の人にもっと知ってもらいたい」という強い思いで、初代館長に就任しました。

 

大人だけでなく子ども達もたくさん学べるよう、開放的な図書館作りを目指しました。伊波普猷は館長の傍ら、貴重な資料を収集し保管。沖縄研究に関する論文や書籍を執筆するなど、研究者としても躍進します。

 

その研究内容は沖縄の言語・歴史・民俗学など多岐にわたります。沖縄学の創始者となる伊波普猷は、民俗学の父と称される柳田國男らとも交流がありました。

 

沖縄県立図書館には沖縄に関する色んな分野を研究する研究者達(真境名安興【まじきな あんこう】や末吉麦門冬【すえよし ばくもんとう】など)も集まるようになり、まさに沖縄文化研究の中心として、その存在感を増していきました。

 

伊波普猷が生まれ育った時代は沖縄にとって激動の時代でした。琉球処分により、1879年(明治12年)に沖縄県が設置。標準日本語による教育の推進や徴兵、土地整理など、本土との同化が進んで行った時代背景があります。

 

いわゆる琉球から沖縄に変遷する過程で、沖縄の歴史・文化を否定された形になりました。沖縄県民の多くがアイデンティティを失いつつあり、疲弊も積もっていきます。そんな県民を励まし続けたのが伊波普猷。

 

「沖縄には素晴らしい文化・歴史がある。沖縄を知る事が県人としての自信につながる」を信条に、彼は県内各地で講演活動を行います。当時否定されていたウチナーグチで積極的に語りかけ、学ぶ事の大切さを訴え続けました。

 

その講演内容は素晴らしいと噂が広まり、どの講演会でもたくさんの人が集まりました。海外に住む沖縄の人々にもそれが伝わり、伊波は北米・ハワイ・メキシコなどでも講演会を行っています。

 

沖縄の歴史・文化の素晴らしさを伝え、誇りを持つように訴え続けた彼はこんな言葉を残しています。

 

「深く掘れ己の胸中の泉、余所たゆて水や汲まぬごとに」

 

己の立つ場所を深く理解すれば、泉のように豊かな世界が広がる。彼の情熱は沖縄のみならず、世界に住む沖縄の人達にも勇気を与えたのです。

 

沖縄を捨てた伊波普猷

県立図書館の館長をしていた伊波普猷には妻子がいましたが、その図書館で司書を務めていた真栄田マカトという女性と不倫関係になります。真栄田は伊波を師と仰ぎ、伊波もまた彼女に惹かれていきました。

 

伊波からすると22歳年下で、親子ほども離れた年齢です。1924年(大正13年)、真栄田は県立図書館を退職し、研究者の道へ進むため上京。東京女子師範学校附属図書館の図書館司書に転職しました。

 

なんと同じ年に伊波普猷も館長職を退職。真栄田を追って上京し、彼女と同棲生活をスタート。当時の伊波は49歳、真栄田は27歳です。50を前にして、職も故郷も妻子も捨てての上京…。よほど伊波は真栄田に心酔していたのでしょう。

 

伊波は東京で沖縄の研究を続けましたが、当然のことながら沖縄にいた方が豊富な資料もあり、現地調査も手軽に出来て研究は進んだはずです。それでも伊波は東京に住み続けました。

 

昭和16年に本妻が亡くなると、昭和19年に内縁の妻状態だった真栄田と入籍。彼女は伊波冬子という名前になります。この時、伊波普猷はなんと69歳。そしてその3年後、72歳の時、『沖縄歴史物語』を書き終えたあと、8月13日に永眠。1947年(昭和22年)のことです。

 

人生の後半はずっと東京で過ごした普猷ですが、冬子の支えもあり、多くの沖縄研究の論文や本を書き上げました。本人は「沖縄の墓に入れなくとも」という言葉を残しており、その覚悟はあったようです。

 

伊波普猷の遺骨は十三回忌直前まで東京に安置されましたが、冬子が夫の死後12年目で沖縄に戻った事で(昭和34年)、遺骨も帰郷する事になります。

 

伊波普猷の墓所と顕彰碑を建設するために寄付金を集め、彼の遺骨は今の浦添城跡へと移されたのです。それが昭和35年、伊波普猷の死後13年目のことです。

 

浦添城跡にある彼の顕彰碑には、次のように記されています。

 

彼ほど沖縄を識った人はいない 

彼ほど沖縄を愛した人はいない 

彼ほど沖縄を憂えた人はいない 

彼は識ったが為に愛し愛したために憂えた

彼は学者であり愛郷者であり予言者でもあった

 

いつかまたそこへ行く機会があれば、周辺の写真を撮ってきたいなと思います。

 

伊波普猷。名前は聞いた事あるけど、どんな事をしたのかよくわからないという人も多いかと思います。自分の学びにもなりますし、今回は彼を取り上げてみました。

 

時にはこういうブログ記事もいいかなと思いますので、またいつか琉球・沖縄で活躍した人物を取り上げようかなと思います。

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最近は非常にお腹が空きます。マルキヨ製菓のお菓子でも食べながら、午後も頑張りたいと思います。

 

今回はこの辺で。

 

平日は毎日更新。Facebookもよろしくお願いします。

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