派手な雛人形はNG
2024年02月27日
こんにちは、マルキヨ製菓広報担当の仲宗根です。前回のブログ更新時は最高気温26度最低気温24度で暖かい日でしたが、今日は最高気温20度最低気温16度。朝7時頃はヒンヤリ空気が肌寒く感じました。
もう来ないだろうと思っていた寒い日はまだ続きそうです。今週土曜日の予報では最高気温17度最低気温13度で、「3月の沖縄でこんな寒い日あったかな?」と思うほどです。寒暖差で体調を崩さぬよう、今週も頑張っていきましょう。
おとといの日曜日、無事に「ジュウルクニチー」という行事が終わりました。割と大きな行事で、スタッフも一息つきたいところですが、今度の日曜日も行事はやってきます。3月3日「ひな祭り」です。
現在、マルキヨ製菓は行事ラッシュの中にいます。「ウガンブトゥチ」「旧正月」「ヒヌカンウンケー」「ジュウルクニチー」を終え、これから「ひな祭り」「春彼岸」「シーミー」に対応します。「ひな祭り」が終わっても、まだまだ行事は続くのです。
今回は「ひな祭り」関連記事の2回目となります。もともと「みそぎ」の行事だったのですが、どのようにして現代のような「女の子をお祝いする行事となったのか?」というお話です。
バックナンバー
「桃の節句」と言われる「ひな祭り」ですが、元々は「上巳(じょうし)の節句」に「みそぎをする」風習で、中国由来となります。1000年以上前に伝来したこの風習ですが、当時の日本貴族達は身代わりにみそぎをさせました。
⇒【上巳の節句】
「ひな祭り」は男の子もお祝いしていた
平安時代の貴族が用意した自分の身代わりにみそぎをしてくれる「人形(ひとがた)」、女の子のおままごとで使われる紙などで作った人形(にんぎょう)「雛(ひいな)」、赤ん坊の代わりに悪い物を吸い寄せる「天児(あまがつ)」や「這子(ほうこ)」。
これらが融合し、進化したのが現代の雛人形となります。「雛(ひいな)」や「天児(あまがつ)」が登場するのは平安時代。その頃はまだ「上巳(じょうし)の節句」に行うのは「みそぎ」であり、「女の子をお祝いする」ことはありませんでした。
平安時代から鎌倉時代、室町時代… さらに時代が進み、全国にいる強力な戦国武将達が派遣を争う戦国時代を経て、到来したのが江戸時代。徳川家康が開いた江戸幕府が安定した長期政権として君臨する時代です。
「みそぎ」という厄払いの行事だった「上巳の節句」に「お祝い」をするようになったのは、この江戸時代から。大坂の陣が終わって10数年。戦国の世がようやく落ち着いてきた1629年、京都の御所で盛大な「ひな祭り」が行われたという記録が残っています。
やがて大奥でも「ひな祭り」が行われるようになり、それはさらに下の位の者へと広がっていきます。江戸中期あたりからは、一般庶民の間でも「ひな祭り」が行われるようになっていきます。
「ひな壇に雛人形を飾る」のも江戸時代から。当初、ひな壇には「菅原道真」の人形も飾るなどして、女の子だけでなく男の子に対するお祝いもしていました。
江戸幕府が「上巳の節句(3月3日)は五節句の1つ」と整式に定めて以降、「上巳の節句では女の子をお祝い」し、「端午の節句では男の子をお祝い」する行事として、世の中に広まっていくのです。
派手なものはNG
江戸時代に「女の子をお祝いする」行事へと進化した「ひな祭り」は、時を重ねるごとに大きな行事になっていきました。その日は雛人形や雛道具を売る「雛市」と呼ばれるものが現れ、大変な賑わいを見せたのです。
江戸幕府は財政が苦しくなった時、質素倹約を奨励し派手で豪華なものを取り締まる「奢侈(しゃし)禁止令」という御触(おふ)れをたびたび出しています。その取り締まりの対象に、豪華な雛人形や派手な雛道具なども含まれました。
特に寛政の改革を行った松平定信は、文化・風俗の取り締まりをさらに強化。「8寸以上の人形を作ってはいけない」など細かい指示まで出しています。実際に幕府は「雛市」を抜き打ちで検査する事もあり、違反が出た店は強制閉店させられたのです。
しかし民衆側はただ黙っていたわけではありません。8寸以上の雛人形が取り締まりの対象になるなら、次は精巧な細工が施された「芥子(けし)雛」という雛人形を作り、それを売り出します。大きさは基準通りにしつつ、その衣装などを豪華にしたのです。
そして、この「芥子雛」は一般庶民に大流行。将軍家など位の高い上流階級の人達にも人気がありました。当時の幕府からは色々な禁止令が出ていましたが、それらをかいくぐり法令の範囲内で最大限に「ひな祭り」を盛り上げるため、人々は工夫をこらしたのです。
インターネットも無ければ、テレビ・ゲーム・ラジオもない。現代のような娯楽が圧倒的に少ない時代、人々は行事1つ1つを最大限楽しめるよう知恵を振り絞ったのです。この姿勢は現代の我々も見習うべき点があるでしょう。
雛道具で花嫁修業
雛人形はその時代その時代の流行を反映させ、豪華になったり精巧になったりと進化を続けました。そして、それは雛道具についても言えるのです。
武家の婚礼に使われる道具を、雛道具として小さいサイズで製作し、それをひな壇に飾るようになりました。特に大名家では女の子が生まれるとすぐに、婚礼道具をモチーフにした雛道具を準備させました。その製作にはかなりの手間がかけられたようです。
一般庶民の間でも、雛道具を豪華にしたり細工が精巧になるなど進化していきます。しかし、この雛道具もまた豪華になりすぎたという理由で、雛人形同様、幕府の禁令対象になってしまう事もありました。
3月3日になると、女の子の居る家庭は友達を家に招き入れ、雛道具を使ってままごと遊びをしました。雛道具は婚礼道具を模した物も多いので、それは結婚前の花嫁修業のように位置づけられたのです。
「娘の幸せな将来を願い、ひな祭りは華やかなものにしたい」。親がそんな気持ちを持つのは自然の流れであり、雛道具やひな人形が発展していったのも必然と言えるかもしれません。
江戸時代の雛道具やひな人形は、女の子のあこがれと幸せを象徴する大事なアイテムだったと言えます。
そして、逆に「禁止令が出たからこそ」というのもあるでしょう。当時のひな祭りは女の子のいる家庭にとって、娘の結婚を見据えた一大行事。例え禁止されても娘の幸せは願うもの。江戸時代の人達は雛人形や雛道具に多くの思いを込めたのです。
現代のひな祭りで、「雛道具を婚礼道具と見立てて、それを使ったおままごとは花嫁修業」と思う人はいないでしょう。ただ、娘の健やかなる成長や幸せを願ってお祝いする。その気持ちは、今も昔も変わらないと思います。
「さくらもち」と「ひしもち」
マルキヨ製菓は3月3日の「ひな祭り」に向け
「桜もち」と
「ひしもち」を期間限定商品としてリリース予定です。2つとも甘いお餅で美味しいですよ。女の子のいる家庭は是非、ご購入を検討下さい。店頭で販売されるのは3月に入ってからとなります。
気がつけばあと2日で2月も終わりです。3月もまた行事に追われながら頑張る予定のマルキヨ製菓。沖縄の行事を支えるために今日もお菓子と作りますので、応援よろしくお願いします。
今回はこの辺で。
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