ひな祭り②
2023年02月24日
こんにちは、マルキヨ製菓広報担当の仲宗根です。今日は朝から曇り空ですが、太陽の光も届いて、過ごしやすい沖縄です。ちょうど1週間後は「ひな祭り」がやってきます。マルキヨ製菓は「ひな祭り」用の期間限定商品として
「桜もち」と「ひしもち」のリリースを予定しています。来週は是非、これらのお菓子をご賞味下さい。
今回は前回に引き続き、「ひな祭り」に関するお話を進めていきましょう。
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「ひな祭り」はもともと「みそぎ」の行事でした。日本の貴族達は、自分の身代わりとなる「人形(ひとがた)」にみそぎをさせました。それがひな人形の起源と言われていますが、当時は「女の子の行事」というわけではありませんでした。
⇒【ひな祭り①】
「みそぎ」から「お祝いごと」へ
自分の身代わりにみそぎをしてくれる「人形(ひとがた)」、女の子のおままごとで使われる紙などで作った人形(にんぎょう)「雛(ひいな)」、赤ん坊の代わりに悪い物を吸い寄せる「天児(あまがつ)」や「這子(ほうこ)」。
これらが融合し、進化して現在の雛人形になります。「雛(ひいな)」や「天児(あまがつ)」が登場するのは平安時代で、その頃はまだ「ひな祭り」が「女の子をお祝いする日」ではありませんでした。
平安時代、鎌倉時代、室町時代… さらに時代が進み、全国にいる強力な戦国武将達が派遣を争う戦国時代がやってきます。そして徳川家康が開いた江戸幕府が安定した長期政権を樹立する事になります。
「みそぎ」という厄払いの行事だった「ひな祭り」の日にお祝いをするようになったのは、この江戸時代からです。大坂の陣が終わって10数年。戦国の世がようやく落ち着いてきた1629年、京都の御所で盛大な「ひな祭り」が行われたという記録が残っています。
やがて大奥でも「ひな祭り」が行われるようになり、それはさらに下の位の者へと広がっていきます。江戸中期あたりからは、一般庶民の間でも「ひな祭り」が行われるようになっています。
「ひな壇に雛人形を飾る」のも江戸時代からの風習です。当初、ひな壇には「菅原道真」の人形も飾るなど、女の子に限らず男の子に対するお祝いもしていました。
江戸幕府が「上巳(じょうし)の節句(3月3日)は五節句の1つ」と定められて以降、「上巳の節句では女の子をお祝い」し、「端午の節句では男の子をお祝い」する行事として、世の中に広まっていきます。
幕府が大きな雛人形を禁止
「ひな祭り」が定着した江戸時代。時を重ねるごとに「ひな祭り」は大きな行事になっていきます。雛人形や雛道具を売る「雛市」と呼ばれるものが現れ、大変な賑わいを見せました。
豪華な雛人形や、派手な雛道具が売られるようになってくると、幕府はそれらを取り締まりの対象としました。当時の財政が悪化していたため、幕府は質素倹約を奨励していたのです。
同時に派手で豪華なものを取り締まる「奢侈(しゃし)禁止令」という御触(おふ)れも出しています。
特に寛政の改革を行う側の中心人物となった松平定信は、文化・風俗の取り締まりをさらに強化させ、「8寸以上の人形を作ってはいけない」など細かい指示まで出しています。実際に幕府は「雛市」を抜き打ち検査し、違反が出た店は強制閉店させられました。
しかし民衆側も黙ってはおりません。8寸以上の雛人形が取り締まりの対象になるなら、次は精巧な細工が施された「芥子(けし)雛」という雛人形を作り、それを売り出します。大きさは基準通りですが、その衣装などは豪華に作られていました。
この「芥子雛」は一般庶民に大流行。将軍家など位の高い上流階級の人達にも人気があったそうです。当時の幕府からは色々な禁止令が出ていましたが、それらをかいくぐり法令の範囲内で最大限に行事を楽しめるよう、人々は工夫をこらしました。
今のような娯楽が圧倒的に少ない時代。人々は行事1つ1つを最大限楽しめるよう、知恵を振り絞ったわけです。現代の我々が見習うべき点があるかなと思います。
雛道具で花嫁修業
雛人形はその時代その時代の流行を反映させつつ、豪華になったり細工が精巧になったりと進化を続けました。それは雛道具についても言えます。
武家の婚礼に使われる道具が、雛道具として小さいサイズで製作され、それをひな壇に飾るようになりました。特に大名家では女の子が生まれるとすぐに、婚礼道具をモチーフにした雛道具を準備させました。その製作にはかなりの手間がかけられたようです。
一般庶民の間でも、雛道具を豪華にしたり細工が精巧になるなど進化していきます。しかし、この雛道具の進化が豪華になりすぎたため、雛人形同様、幕府の禁令対象になってしまいます。幕府と民衆、雛人形や雛道具を巡ってのいたちごっこですね。
3月3日になると、女の子の居る家庭は友達を家に招き入れ、雛道具を使ってままごと遊びをしました。雛道具は婚礼道具を模した物が多いので、それは結婚前の花嫁修業のように位置づけられたようです。
そんな娘の幸せな将来を願い、雛道具が華やかに発展していったのも自然の流れでしょう。江戸時代の雛道具は、女の子のあこがれと幸せを象徴する大事なアイテムだったのです。
禁止令が出たからこそというのもあるでしょう、江戸時代の人は雛人形や雛道具に多くの思いを込めました。当時のひな祭りは、女の子のいる家庭にとって、娘の結婚を見据えた一大行事だったのですから。
現代のひな祭りで、例えば「雛道具を婚礼道具と見立てて、それでままごとする事は花嫁修業だ」という発想には、なかなかならないでしょう。それでも、娘の健やかなる成長や幸せを願ってその日を迎える心は、今も昔も変わらないかなと思います。
来週のひな祭りに向け、マルキヨ製菓はお菓子の面で力になれたら幸いです。来週の金曜日、ひな祭り当日にそれらのお菓子を紹介する予定ですのでお楽しみに。
2月も残すところあと4日。月末までに終わらせなければならない仕事を片付け、行事で忙しくなる3月4月に備えたいと思います。
今回はこの辺で。
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