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Mother’s Day

2023年05月9日

こんにちは、マルキヨ製菓広報担当の仲宗根です。昨日は雨も降り、気温も20度近くまで下がっていました。この時期の沖縄で気温20度はかなり低い方で、夜は肌寒さを感じました。

 

今日も最低気温は20度。夜は少し肌寒く感じるかもしれませんね。ゴールデンウィーク明けで体調がイマイチという方も多いかもしれません。体調管理はしっかりしていきましょう。

 

先週で「こどもの日」「シーミー」の2つの行事を終えることができました。余談ですが、私は10個の「柏もち」を食べました。ダイエット、頑張りたいと思います。

 

そして、今度の日曜日には「母の日」がやってきますね。マルキヨ製菓としては、その「母の日」に

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「た~むパイ(ホール)」を推していますよ。店頭で見かけたら是非、手にとって下さい。お母さんを中心に家族でシェアして食べる事をオススメします。

 

今回のブログは「母の日」についてのお話になります。

 

Mother’s Day

「母の日」の起源については諸説あるようですが、「母の日」が広まったきっかけはよく知られているので、それをお話ししましょう。

 

1832年に生まれたアメリカ人のアン・ジャービスという女性は敬虔なクリスチャンであり、「Mother’s Day Work Club」というボランティア団体を設立して医療活動を行っていました。

 

1861年から1865年の間、アメリカでは南北戦争が行われていましたが、アンは傷ついた兵士達を敵味方関係なく治療・看護しました。19世紀中頃、当時の医療環境や衛生面はけして良いものではなく、感染症の流行により多くの人が命を落としています。

 

アンには11人の子どもがいましたが、チフスやジフテリアなどの感染症により半数以上が成人前に死亡。11人の子供のうち、成人したのはわずか4人だけでした。

 

アンは戦争で傷ついた人、チフスで倒れた人達をたくさん看護し、多くの人に医療活動を施しました。彼女の在籍する「Mother’s Day Work Club」の活動は全米で賞賛されますが、多くの命を救ったアンは1905年5月9日、この世を去りました。

 

成人したアンの子供の中に、アンナという娘がいました。アンナは医療従事者であった母親を尊敬し、母の死を深く悲しみます。そして、母親への感謝や敬愛の気持ちを何らかの形で表したいと考えました。

 

1907年5月12日(日曜日)、いわゆる5月の第2日曜日に、アンナは母が勤めていた教会に出向きました。そして、亡き母が好きだった白いカーネーションを教会へ贈り、母を偲ぶための会を開きました。

 

さらに翌年の1908年5月、アンナに共感する人々が教会に集まると、「Mother’s Day」としてお祝いします。これをきっかけに、アンナは「母親へ感謝する日」を公式なものにしようと人々に呼びかけました。

 

アンナを中心に「Mother’s Day」を広める運動がアメリカ全土で展開されます。そして1910年、ウェストバージニア州で「Mother’s Day」が制定。さらにアンナは活動を展開し、ついに1914年、それが実る事になります。

 

アメリカ連邦議会で「5月の第2日曜日を母の日とする」法律が定められ、翌1915年に施行されました。アンナの努力により、「Mother’s Day」は法的に認められた「母親に感謝する日」となったのです。

 

日本における「母の日」は「子どもが母親に感謝する日」ですが、アメリカの「母の日」は「すべての母に感謝する日」となっています。例えば子どもを持つ旦那さんが、奥さんに対して感謝したりします。

 

母の日

アメリカで法的に認められた「Mother’s Day」。この「母親に感謝する日」は、アメリカだけでなく世界へ広がっていきます。

 

「Mother’s Day」が施行された1915年、青山学院大学のアレクサンダー教授により、日本で初めて「Mother’s Day」が「母の日」として紹介され、礼拝が行われています。これをきっかけに「母の日」はいくつかのキリスト教団体で礼拝など行われる事になります。

 

しかし、一般家庭にまで「母の日」が広まる事はありませんでした。1931年、「大日本連合婦人会」という団体が「母の日を3月6日とする」と宣言します。この日付は当時の皇后陛下の誕生日ですが、こちらも「母の日」が一般に普及する事はありませんでした。

 

日本で「母の日」が一般家庭にまで浸透するきっかけを与えたのは、お菓子会社の森永製菓です。キリスト教団体などで行われていた「母の日」を一般にも広めるため、1936年5月に「森永母を讃へる会」(母の日中央委員会)を設置。

 

翌1937年の5月8日、9日に「第1回森永・母の日大会」を豊島園で開催します。この大会に招待されたお母さんの人数、なんとびっくり20万人です。

 

盛大なイベントが展開され、その招待券には電車乗車券や豊島園入場引換券、お菓子の引換券や福引き券なども付いていました。実にサービス盛りだくさんですね。

 

森永製菓による「母の日大会」は全国主要都市で毎年開催されるようになります。1940年には、全国の幼稚園・小学校に「私のお母さん」というテーマで作文や絵画を募集しています。

 

2500もの幼稚園や小学校に呼びかけた結果、絵画も作文も1万点以上の応募がありました。子どもが描いた母親の似顔絵や、母親へ宛てた手紙を展示するイベントは、令和になった今も続く伝統行事と言えるでしょう。

 

森永製菓のイベント展開により、母親に感謝する「母の日」が日本全国の一般家庭にも認知されるようになりました。そして戦後の1947年、アメリカにならって日本も「5月の第2日曜日」を「母の日」として、公式に制定しました。

 

カーネーション

かつてアンナ・ジャーヴィスは、亡き母が好きだったカーネーションを教会に贈りました。日本でもそれにならい、母の日に母親へカーネーションを贈る習慣が生まれます。

 

一般的に、白は亡くなった人に関わる色とされています。白のカーネーションは「私の愛情は生きている」や「尊敬」を花言葉に持ち、「亡き母を偲ぶ」という意味合いがあります。母親が他界している場合は、白いカーネーションを供えるといいでしょう。

 

生きている母親に対してカーネーションを贈る時は白色は避け、赤やピンクなど、色のついたカーネーションを贈るといいでしょう。ちなみに赤いカーネーションの花言葉は「母への愛」や「母の愛」、「純粋な愛」となっています。

 

私個人としては、毎年「母の日」には家族で食事会を開き、ちょっとした物を贈ります。今年もそうする予定です。皆さんは今年の母の日、どんな事をする予定ですか?

 

母親が旅立ってしまった方は手を合わせ、生んでくれた事に感謝し、母親が存命の方は生きている間に感謝の気持ちをしっかり表しておきましょう。

 

今度の日曜日が気持ちよく晴れ、多くの人が母親に感謝できる事を願い、今日も仕事を頑張りたいと思います。

 

今回はこの辺で。

 

平日は毎日更新。Facebookもよろしくお願いします。

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