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義本王

2020年09月7日

こんにちは、マルキヨ製菓広報担当の仲宗根です。先週、無事に旧盆を終えました。台風もやってきて慌ただしい1週間でしたが、何とか大きな行事を終えてホッとしているところです。

 

しかし今度は約2週間後に秋彼岸がやってきます。この行事のためのお菓子作りで、またまた忙しい日々を送っているところです。

 

さらにその後には、シバサシや

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十五夜という行事も控えているため、今月もタフな1ヶ月となります。

 

尚円王

 

先週、ドラマ「尚円王」のDVDが発売され、TSUTAYAやゲオでもレンタルされている事が話題となっていました。また、ウークイの日には敬愛する賀数仁然さんがTV番組に出演し、尚円王の正室である「オギヤカ」について特集していました。

 

尚巴志を中心とした第1尚氏王統(初代王は尚巴志の父親である尚思紹王【しょうししょうおう】)に対し、尚円王を初代とするのが第2尚氏王統になります。

 

尚円王は王になる前「金丸(かなまる)」と名乗っており、このブログでも何度か登場しています。彼が生まれたのは1415年ですが、その約200年前にあたる1206年、義本(ぎほん)という人物が生まれています。

 

彼は尚氏王統が出来る以前の王ですが、実はその血を引きついでいるのが尚円王という伝説があります。今回はそのお話をしてみましょう。

 

義本王

 

琉球史の中では尚氏王統が有名ですよね。尚巴志を中心とした第1尚氏、尚円王を始祖とする第2尚氏があります。尚巴志が三山統一(1429年)する200年以上前、琉球最初に登場した王統が舜天(しゅんてん)王統でした。

 

初代王となった舜天(しゅんてん)。1187年に中山王として王位につくと、3代にわたって73年間、中山王としてその子孫が琉球史に名を残します。1237年に舜天が亡くなると、その子である舜馬順煕(しゅんばじゅんき)が54歳で、2代目国王として即位。

 

舜馬順煕が1248年に亡くなると、その後を継いだのが義本です。父を舜馬順煕、祖父を舜天とする舜天王統直系の血筋として、44歳で第3代国王につきました。残念ながら彼が舜天王統最後の国王となります。

 

義本が王に就いてからは天変地異が起き、飢饉に見舞われたり、疫病が蔓延して多くの国民が死ぬなど、苦難続きでした。初代・2代目までは国を豊かにしていただけに、義本は心苦しくなります。そんな困難な状況が続く中、どこからともなく白髪の老人が現れ、こう言いました。

 

「この困難は神の心の表れ。これを沈めるため、国王を祭壇で火あぶりにせよ」

 

義本王は縄でしばられ、祭壇にあげられると、その老人が国王に向けて火を放ちました。突然、天気が急変し、大きな落雷が落ちたかと思うと、大雨が降り出しました。そのおかげで、義本王に燃え移ろうとしていた火は消えました。

 

「神はお許しになられた」

 

老人はそう言うと、去って行きました。

 

絶体絶命のピンチを乗り越えたものの、先代・先々代と国を繁栄させてきたのに、自分の代で国を混乱させた事に胸を痛める義本王。国民から多くの尊敬を集める英祖に王位を譲ると、国頭の山中で隠居生活を始めました。

 

これで、初代を舜天とする舜天王統の血筋は途絶えた事になります。

 

尚円王の祖先

 

隠居を始めた義本は、やがてその地域の娘との間に男の子をもうけます。しかし、当時のしきたりでは、自分の集落外の人との恋愛は許されざる行為。娘や娘の親は、この子どもをどうするか悩みました。

 

結局、男の子を手放す事を決意。朱塗りされた桶に水が入らないよう子どもを寝かせ、「徳のある方が拾って下さいますように」と願い、海へ放ちました。数日間、海を漂った桶は伊是名島までたどり着き、そこで漁師によって拾われます。

 

漁師が桶の中を確認するとびっくり。赤ちゃんがぐったりした様子で、中に入っていたのです。すぐに水を与えて、何とか泣き出した赤ちゃん。子どもを亡くしたばかりのその漁師は「神様からの授りものだ! 我が子の再来だ!」と喜び、家へ連れて行きました。

 

そして、夫婦で大切にその子どもを育てます。愛情をたくさん受けて育ったその子は、村でも評判の好青年へ成長していきます。

 

その青年の子孫に、やがて金丸という男の子が現れ、尚円王という名の琉球国王にまで上り詰めます。江戸幕府よりも長い、19代410年も続く第2尚氏の初代国王として、琉球史の中に燦然と名を残す尚円王。

 

その祖先となる義本王は、国王の地位や息子を手放したあと、ひっそりと逝去し、山の中に陵墓が作られたと伝わります。義本の墓と伝えられるものは、国頭に7つ、北中城に1つ、さらに鹿児島の奄美地方に2カ所、合計10カ所もあります。

 

伝説

 

義本は国王退位後に、鹿児島の奄美地方に渡ったという伝説もあります。後に芝家を名乗り、義本の子にあたる継好(つぐよし)は、奄美大守と称したとされます。

 

さらに喜界島にも「ジブンシュー伝説」(「ジブン」は義本が訛ったもの)があったり、徳之島にも足を運んだという言い伝えがあります。

 

義本に関しては、退位後の記録があまり残っていません。墓が10個もあり、各地で言い伝えも多数存在する事から、ひょっとしたら義本は庶民に慕われていたのかもしれませんね。

 

普通の国王なら、自分の血筋ではない者に地位を譲る事は考えないでしょう。それが出来たという事は、時勢が悪かっただけで、本人自身は徳のある人物だったのかもしれません。

 

地位を譲ったからこそ、後の尚円王が生まれ、江戸幕府よりも長い安定した第2尚氏王統が琉球を治める事になります。義本王本人は不幸だったかもしれませんが、後の琉球に安寧をもたらしたという事で、立派な国王と言ってよいのかもしれません。

 

台風が去り

 

先週は2個の台風が沖縄にやってきました。自分の家は停電し難儀を強いられましたが、マルキヨ製菓は特に大きな被害はありませんでした。

 

もし、マルキヨ製菓の電気が止まったかと思うと恐ろしいです。お菓子会社なのに、お菓子が作れないわけですからね。

 

秋彼岸、シバサシ、十五夜。今月も行事がたくさんやってきますが、1つ1つ丁寧に、そして誠実に行事に向き合っていきたいと思います。

 

今回はこの辺で。

 

平日は毎日更新。Facebookもよろしくお願いします。

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