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源為朝③

2016年05月19日

こんにちは、ブログ担当の仲宗根です。梅雨入りを宣言されて以降の沖縄は、毎日雨が降り続いています。さんさんと輝く太陽を久しく見ていないので、少し寂しいですね。

 

さて、ここ最近は琉球で実在が確認されている最初の王様・舜天王(しゅんてんおう)の父・源為朝(みなもとのためとも)についてのお話しをしております。

 

保元の乱で流刑に処された源為朝 → 【源為朝①

マルキヨ製菓のある「牧港(まきみなと)」の由来にも関係する源為朝 → 【源為朝②

 

源為朝の子である舜天王は、浦添の按司(あじ)として活躍した後、王となりました。そして浦添は、中山(ちゅうざん・王府の事)最初の王都となりました。つまり琉球の国造りは、浦添から始まったという事です。

 

牧港は流通の便がよい港であり、浦添地区は農業の生産力もありました。さらには城(ぐすく)を築くのに都合の良い丘陵地もあった事など、浦添は王都に適した地域だったと言われています。

 

さて、琉球最初の王様になった舜天王ですが、実際は浦添を中心としたごく限られた地域でしか、その支配力は及ばなかったであろうと言われています。というのも、当時の琉球は各地で有力な支配者が君臨していた、いわば群雄割拠の時代。

 

さらには奄美や宮古、八重山でも有力な勢力が台頭し始めた頃なので、当時の舜天王統はそれらの勢力までコントロールしていたとは考えられていないのです。

 

舜天王が王様となったのは西暦1200年代前半。そして、話は徳川家康へと、時代を一気に飛び越えます。舜天王統が成立して約400年の1609年、徳川家康の命のもと、琉球は薩摩の侵攻を受けます。

 

薩摩軍が最初に琉球に踏み入れたのは、今帰仁(なきじん)の運天(うんてん)港。源為朝が配流先の伊豆大島から流れ着いた場所と同じです。結果、当時琉球を治めていた尚(しょう)氏は江戸幕府の政権下にしかれる事になります。

 

琉球が江戸幕府に攻められてから数10年後の1650年。琉球の羽地朝秀(はねじちょうしゅう)が「中山世鑑(ちゅうざんせいかん)」という歴史書を編纂し、それに今回紹介している源為朝伝説の話も書かれています。

 

舜天王統が成立して400年以上も経った後に、これらの記録が公式な歴史書の中に記述されたわけですが… そこにはあるプロパガンダが働いていたと言われています。

 

江戸幕府は何故、琉球をその支配下におかなければならないのか? それは「本土と琉球の祖先が同じだから」という理由が都合良かったのです。では、その流れを見てみましょう。

 

徳川家康はもともと「松平」という姓を名乗っていましたが、1564年に「徳川姓に戻させて欲しい」と朝廷に訴え、それが願い入れられます。日本の武家政権は2つの流れがあります。「桓武平氏(かんむへいし)」と「清和源氏(せいわげんじ)」。

 

時代はさらにさかのぼり、「794(なくよ)うぐいす、平安京」。桓武(かんむ)天皇が平安京に都を移したのが794年。その桓武天皇の孫達が「平朝臣(たいらのあそん)」の氏姓を賜り、その流れをくむ士族が「桓武平氏」。

 

清和天皇の子や孫達が「源朝臣(みなもとのあそん)」の氏姓を賜り、その流れをくむ士族が「清和源氏」です。平安時代は天皇家の血を絶やさぬよう、多くの皇子がもうけられましたが、それが朝廷の財政を苦しくしたため、皇位継承権の無い皇子は皇籍を廃し、これらの姓を与えたのです。

 

いわゆる「源氏」「平氏」は、天皇から姓を与えられた由緒ある家柄であり、例えばその流れを組む源頼朝は鎌倉幕府を開く事になります。当時、松平家であった家康は「清和源氏だ」と名乗ってはいますが、実際は家系図を偽って源氏の流れをくむ「徳川」の名を冠したと言われています。

 

それだけ、武家の系統を重視していた家康ですが、後に征夷大将軍となり江戸幕府を開くわけですから、権威付けとしてその判断は正しかったのでしょう。

 

そんな日本の武家政権と琉球王朝を関連づけるのに、「どちらも源氏の流れをくむ」という事実(?)は非常に都合が良かったのです。「琉球王朝は源氏の流れをくむ。だから、同じ源氏の流れをくむ強大な江戸幕府が、琉球をその政権下に」というわけです。

 

「舜天王=源為朝の子ども」という伝説は江戸時代以前からも存在し、民間の間でもよく知られてたようです。袋中上人(たいちゅうしょうにん・エイサーの起源でも出てくる人物)は、1605年に著した「琉球神道記」の中で、その伝説を紹介しています。

 

この伝説をうまく利用したのが、「中山世鑑」だと言われています。「伝説」を「真実」とする事で、琉球を江戸幕府が取り組む事の正当性の1つとしたわけです。

 

「本土と琉球の祖先は同じである」。これを「日琉同祖論(にちりゅうどうそろん)」と言いますが、源為朝伝説はこれに利用されたのです。まさにプロパガンダですね。

 

ちなみに源為朝が最初に琉球にたどりついたと言われている「運天」は、古くは「くもけな」という呼称があり、「牧港」もかつては「まひみなと」と呼ばれていました。どうやら「待ち続ける港=マチナト」は、伝説ありきの呼び方のようです。

 

とまぁ、3回に渡って「源為朝」のお話しをしてきました。舜天王は、琉球に実在が証明されている最初の君主と言われていますが… 果たして彼は源氏の血を引いているのか、やはり伝説というだけで真実ではないのか…?

 

信じるか信じないかは、あなた次第です。

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今回はこの辺で。

 

mozu08

 

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