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尚円王① ~農民から国王になった男~

2021年05月18日

こんにちは、マルキヨ製菓広報担当の仲宗根です。5月も半分が終わり、次のブログを書く頃には下旬になっています。6月も目の前、そして2021年の半分もあっという間に終わりそうな今日この頃です。

 

去年の2月になりますが、RBC(琉球放送)にて創立65周年特別番組「尚円王」(全3話)が放映されました。「尚巴志」に続く琉球歴史ドラマの第2段という事で、沖縄では話題になりました。

 

本ブログでは尚泰久王について語った事はあります。尚泰久の元には金丸という有能な側近がいまして、彼こそが後に尚円王となる人物です。尚巴志から続く尚家の血筋が絶たれた後、第二尚氏と称される王党の初代国王が、農民出身の尚円王。

 

いつかこの金丸・尚円王につてお話ししようと思っていましたが、今までやってきませんでした。今回は、琉球歴史ドラマ「尚円王」の内容に沿って、彼について語ってみたいと思います。

 

ドラマゆえ多少の脚色はあるかもしれませんが、史実に基づいたドラマという事で、重要な部分に注目して紹介したいと思います。彼もまた、波瀾万丈な人生を歩んだ事は間違いありません。

 

農民出身の金丸が、どうやって琉球国のトップになったのか。ゆっくりと見ていきましょう。

 

出身地は伊是名島

ドラマは尚泰久王が亡くなる所からスタートしますので、まずはそこに到るまでの経緯を簡単にお話ししましょう。

 

沖縄本島北部にある離島・伊是名島(いぜなじま)。1415年、この島に誕生したのが金丸(後の尚円王)で、そこで生まれ育ちました。農民の両親の元に生まれていますので、後に琉球国王となるなど、誰も出想像しなかった事でしょう。

 

金丸の生家跡は「みほそ所(どころ)」と呼ばれています。「みほそ」とは、「真ん中」や「おへそ」を意味する言葉です。生家跡にある石の下には、金丸のへその緒が埋まっていると伝わる事から、そう呼ばれるようになりました。

 

早くに両親を亡くし、幼い弟の面倒を見ながら農業に励む金丸。金丸の耕す田んぼは、毎年豊作だったそうです。農民として優秀な一面がうかがえます。

 

ある年、伊是名島は干ばつの被害に遭ってしまいます。田んぼの水が干上がる中、不思議と金丸の田んぼだけは、しっかりと水をたたえていました。不審に思った村の人達は、金丸が周りの水を盗んでいると思い、彼の田んぼの水を抜いてしまいます。

 

しかし翌日になると、不思議と金丸の田んぼは水を満たしていたそうです。このエピソードから、金丸の耕す田んぼは「水が逆流する田んぼ」という意味の「逆田(さかた)」と呼ばれるようになりました。

 

実は金丸には治水の知識があり、金丸の田んぼを通して他の田んぼにも水が供給されていたようです。しかし村の人々は金丸が水泥棒だとして、彼を捕まえようとします。

 

若い頃の金丸はすごいイケメンでモテモテだったらしく、何かあると村の若い男に疎まれていたようです。金丸は幼い弟と共に、村人達から命からがら逃げる事になります。そして1438年、彼が23歳の時、弟と共に島を出る事になります。

 

沖縄本島の国頭(くにがみ)で暮らしていましたが、そこも追われる形で出て行き、色々な所を転々と渡り歩きます。そして現在の越来(ごえく)で大城賢雄(うふぐすくけんゆう)、そして当時は王子だった尚泰久と出会う事に。

 

1441年、金丸は尚泰久に仕えるとその才覚を発揮し、出世を重ねると首里の役人の地位まで上り詰めました。尚泰久については、以下のバックナンバーをご覧下さい。

 

尚泰久王

第一尚氏第5代国王・尚金福が亡くなった1453年、志魯・布里の乱(しろふりのらん)が勃発。後継候補の2人が死去した事により、尚泰久が第6代国王として即位します。

⇒【 尚泰久と万国津梁の鐘 ① 】

 

乱れた国を立て直そうとした矢先、今度は国内最大の内乱と言われる護佐丸・阿麻和利(ごさまる・あまわり)の乱が勃発します。

⇒【 尚泰久と万国津梁の鐘 ② 】

 

護佐丸・阿麻和利の乱と、その数年で祖父・夫・父を亡くした百度踏揚(ももとふみあがり)。その悲劇はさらに続きます。そして、尚泰久王が万国津梁の鐘に込めた願いとは。

⇒【 尚泰久と万国津梁の鐘 ③ 】

 

尚泰久王の死後、琉球はさらなる困難に見舞われます。

⇒【 尚泰久と万国津梁の鐘 ④ 】

 

金丸と尚徳王

ドラマは、尚徳王が亡くなる直前からスタート。まずは当時の時代背景を見てみましょう。

 

時は15世紀。琉球がまだ、北山・中山・南山の三国で覇権を争っていた時代。佐敷の按司(あじ)である尚巴志により、三山が統一されます。それが1429年のこと。

※ 按司=地域を治める長(おさ)のこと

 

その後、明を中心として朝鮮や南蛮、大和(やまと)らを相手に大交易時代と呼ばれる時代に突入し、琉球は繁栄していきます。

※ 大和=日本の本土のこと

 

尚巴志が亡くなった後は、志魯・布里の乱(しろふりのらん)や護佐丸の乱などの内乱が続き、首里城が炎上するなど混乱の時代が続きます。その混乱の中にいたのが尚泰久王。

 

彼が病に倒れ、この世を去ったのが1460年になります。尚泰久が重用していた人物「金丸」は、彼と同じ1415年生まれでこの時45歳。ドラマでは尚泰久の死に際、「金丸、琉球を頼む」という言葉をかけられます。

 

尚泰久の後を継ぎ、第7代国王となるのが尚泰久の三男・尚徳。彼に「金丸は農民のくせに色々と口を出してくる」とネガティブな事を吹き込むのが尚泰久の元、国相という役職についていた程茂(ていも)という人物。新国王となる尚徳王に、「力をみせつけるため、喜界島へ侵攻しては」とそそのかします。

 

金丸は反対しますが、尚徳王は程茂の意見を取り入れ喜界島侵攻を決定。国内の混乱は大城賢雄(うふぐすくけんゆう)という、こちらも尚泰久の元で活躍した人物に任せています。

 

ドラマで程茂は部下に金丸の暗殺を命じるなど、敵対関係を色濃く演出。金丸を殺しにきた刺客を、弟の宣が間一髪助けます。暗殺を命じたのは程茂である事は明白ですが、彼の後ろには超大国の明がいるため、簡単に反撃はできません。

 

1466年の春。尚徳王は自ら2000余りの兵を率い、当時琉球につぐ貿易の拠点でもあった喜界島に侵攻。この喜界島への侵攻は史実であり、金丸を始め何人かの重臣達は不必要に敵を作ってしまうと、これに反対していました。

 

尚徳王は喜界島への遠征で勝利を収めたものの、莫大な費用がかかってしまいます。この強引な遠征が、重臣達の心が離れるきっかけになったとも言われ、後のクーデターにつながります。

 

喜界島侵攻、大和への親善、バックに大国・明を抱える程茂との確執など、金丸の前にはたくさんの無理難題が降りかかってきます。

 

自らのコネクションや知恵をフル活用し、幾多の困難を乗り越えていく金丸。全3話のうち、第1話はここで終了します。第2話の内容については、来週またお話ししたいと思います。

 

連日の真夏日

今週は県外に出荷するお菓子の製造で忙しいマルキヨ製菓。前回はそのお菓子の1つ「黒糖カステラ」を紹介したので、次回はまた別のお菓子を紹介する予定です。お楽しみに。

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今日も最高気温30度。5月中旬としては観測史上初の「3日連続真夏日+熱帯夜」となっているそうです。コロナだけでなく、熱中症にも気をつけなければならない時期に入っています。

 

室内で熱中症になるケースも非常に多いという事で、意識して水分を取るようにしましょう。私も水に麦茶パックを入れて、頻繁にそれを飲んでいますよ。

 

これからが夏本番。いろいろな事に気をつけて、暑い夏を乗り切っていきましょう!

 

今回はこの辺で。

 

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