首里城を救った男:鎌倉芳太郎③
2019年08月29日
こんにちは、マルキヨ製菓広報担当の仲宗根です。今回が8月最後のブログ更新となります。今日はお昼過ぎから曇りの予報ですが、最高気温は32度と相変わらず。今日もお水をたくさん飲んで、頑張りたいと思います。
さて、8月最後のブログも鎌倉芳太郎のお話をしたいと思います。
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東京にいた鎌倉が「首里城取り壊し」の記事を見たのが取り壊し2日前。共同研究者の伊東忠太と共に、その取り壊しを阻止しました。それが1度目の首里城を救った話です。
⇒【首里城を救った男:鎌倉芳太郎①】
戦争で破壊された首里城の復元工事が行われたのが1980年代後半。首里城に関する多くの記録も戦争で失われていましたが、鎌倉が戦前に調査した沖縄関連の資料を東京で保管していたおかげで、首里城を非常に正確に復元する事が出来ました。
これが、2度首里城を救ったと言われるゆえんです。
⇒【首里城を救った男:鎌倉芳太郎②】
首里城関連だけでなく、沖縄の建築物や工芸品など、写真撮影や資料収集、そして鎌倉自身のフィールドワークによってまとめられた記録は、沖縄県立芸術大学に保管されています。
鎌倉資料と呼ばれるこれらの資料は、実に7512点が現存しており、令和になった現在においても、戦前沖縄の建築・芸術・工芸を研究する上で、必要不可欠な存在となっています。
リアルな記録
彼の作成した資料の1つに、崇元寺(そうげんじ)の石門前に立つ老女の手の入れ墨をスケッチしたものがあります。スケッチの周りには、その形状や配置・色々な数値などのくわしい情報も記されてあります。
スケッチの周りにある説明書きは、本土の人からしたらクセの強いであろうウチナーグチで記録されていました。このノートが記録された90年も後にあたる今でも、ウチナーグチがわかる人が見ればその説明が理解でき、鎌倉の耳の良さも際だっている資料だと言えるでしょう。
このように鎌倉の残した資料ノートには、沖縄の建築物や工芸品等のスケッチや詳細な情報が記されており、それが首里城をはじめ、戦争で焼失した多くの物をよみがえらせる事につながるのです。
首里城を救った事がクローズアップされる事の多い鎌倉芳太郎ですが、それと並んで、あるいはそれ以上に大きな業績だと言われるのが「紅型(びんがた)」に関するものです。
紅型
「紅型」とは、沖縄独特染色技法の1つで、琉球王朝時代の王族の衣装に見られる色鮮やかなデザインがそれにあたります。その起源は13世紀頃にまでさかのぼると言われており、14世紀の紅型が現存しています。
「紅」は色全般、「型」は様々な模様を指していると言われまずが、実は「紅型」という言葉自体、初めて使用したのは鎌倉芳太郎なのです。
基本、紅型は王族や士族向けに作られていましたが、本土で使われていた模様も多く取り入れられていました。琉球の王族達が本土に対する憧れを持っていた事から、紅型を作る職人達が本土の模様をデザインとして取り入れたと言われています。
琉球王朝末期はその体制は弱くなりますが、士族の生活は盛り上がりを見せ、紅型などは華やかになっていきました。明治時代になり、本土から琉球へ人が多く入ってくるようになると、琉球を訪れた人はその紅型の鮮やかな色やデザインを見て目を輝かせたそうです。
本土の模様も織り込まれつつ、本土では見られない琉球独特の色鮮やかな織物「紅型」は、沖縄県外の人にとっては非常に印象が良かったようで、「琉球にはとても美しい染め織物がある」として、ブームを巻き起こすほどだったと言います。
そんな県外にも好評だった紅型ですが、沖縄戦で膨大な数の紅型が失われてしまいました。さらには戦後しばらくの間は、製造も途絶える事になってしまいます。
紅型を復興させた男
ここで登場するのが鎌倉芳太郎。鎌倉は戦前の沖縄調査の際、紅型のデザインが記された型紙や裂地(きれじ・実際の織物の一部)を収集し、研究所のある東京に持ち帰っていました。
型紙だけでも1400点もの膨大な数が、鎌倉の手によって戦禍を免れています。そして、実際の織物で見本となる裂地が約750点。しかも琉球王朝時代の工芸が最盛期だったと言われる1800年代の物が多く残されています。
戦争が終わると、しばらくは紅型の製造がストップします。しばしの時が流れた後、かつて紅型を生業(なりわい)としていた人達は、鎌倉が所有していた型紙などをコピーし、それを元に再び紅型を作り始めたのです。
復興した戦前の紅型を目の当たりにした沖縄の人達は、琉球王朝時代の文化を再認識する事になるのです。さらに鎌倉芳太郎は収集した紅型の展示会を本土で行うなど、本土での紅型ブームのきっかけも与えています。
人間国宝
沖縄が復帰する1972年、鎌倉芳太郎の資料展示会が開催されますという事で、何十年ぶりかに沖縄を訪れた鎌倉芳太郎。その第一声は「わんにん、ウチナーンチュどー」、いわゆるウチナーグチで「私は沖縄の人である」だったそうです。
そして翌年の1973年、彼は紅型の技術を継承した「型絵染」の技術保持者として、人間国宝(当時は重要無形文化財技術保持者)の認定を受ける事になります。
アメリカ統治から、本土へ復帰する沖縄。そのアイデンティティーには多くの不安があった事でしょう。戦前、戦後、そして本土復帰の沖縄。戦前の沖縄に何があって、何を継承していくべきなのか。
鎌倉芳太郎の資料は、その疑問に大きな方向を指し示したに違いありません。鎌倉芳太郎なくして、沖縄文化の研究はありえないと言っても過言ではないでしょう。
9月は行事が3つも
今回で鎌倉芳太郎のお話は終わりとなります。さぁ、来週は9月に突入。まずは「シバサシ」という行事がやってきますので、次回以降のブログではその「シバサシ」に関するお話をしたいと思います。
シバサシの次は十五夜。
こちらは去年の十五夜用のお菓子である「ふちゃぎ」と「みたらし団子」です。マルキヨ製菓では、どちらも行事期間限定お菓子となっているので、来月これを食べられるのを今から楽しみにしています。
そして9月後半には秋彼岸もやってきます。9月も本当にタフな1ヶ月なのです。最近、体調不良のスタッフも何人かいますので、よく食べて、よく寝て、しっかり体調を整えて欲しいですね。
この1週間も最高気温は30度を超えています。しっかり水を飲み、体調を崩さぬよう体のケアを意識して、8月ラストスパートも頑張りたいと思います。
今回はこの辺で。
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