今日は「沖縄そばの日」
2025年10月17日
こんにちは、マルキヨ製菓広報担当の仲宗根です。連日、最高気温は32~33度の沖縄。10月も半ばを過ぎましたが、まだまだ暑い沖縄です。外を歩くと汗かくのがイヤですが、洗濯物が気持ちよく乾いてくれることは嬉しいですね。
さて、このブログを作成している日は10月17日。沖縄ではこの日「沖縄そばの日」という事で、沖縄そばを食べる事を推奨しています。
「沖縄の人は沖縄そばが好き」というのが当たり前のように思われるでしょうが、実は私、昔は「うどん派」でした。沖縄そばを食べた回数より、うどんを食べた回数の方が圧倒的に多かったです。
しかし、ここ3~4年ほどはそれが逆転し、今は圧倒的に沖縄そばの方を食べています。うどんより沖縄そばを食べるようになった理由は、すごく美味しい沖縄そばに出会えたからです(その沖縄そばは後半に)。
今日はそんな「沖縄そば」に関する話となります。
琉球そば
沖縄における麺料理の起源は、琉球王朝時代の16世紀ごろと言われています。中国から麺料理が伝来し、それを宮廷料理として発展させていきました。中国から来た冊封使をもてなすために麺料理を出したという記録も残っています。
通常の「そば」と「沖縄そば」の決定的な違いは麺にあります。通常の「そば」の麺には「そば粉」が使用されているのに対し、「沖縄そば」の麺には一切「そば粉」が使用されていません。
沖縄そばの麺は小麦粉100%なのです。沖縄で小麦粉を使用した麺料理が普及するのは明治以降、特に琉球処分が行われた後という事もあり、沖縄で庶民が麺料理を味わうのもこの頃からとなります。
明治時代中期、中国からやってきた料理人が辻(つじ)の遊郭近くで「支那そば屋」を開店。そこで提供された「支那そば」は小麦粉を原料とした麺で作られており、それが「沖縄そば」の起源だと言われています。
当時の小麦粉は非常に高級だったため、「支那そば」も高級料理でした。食べるのは身分の高い人達で、一般庶民にはなかなか手が出せなかったようです。
ただ、この志那そば屋をきっかけに沖縄ではそば屋が増えていき、安い「そば」も登場。大正時代に入ると一般庶民の間でも気軽に食べられるようになっていきました。
「支那そば」を源流として、「そば」は独自の進化を遂げていきます。ねぎやかまぼこ、豚肉が具材として使われ、紅ショウガなどもトッピングして麺と一緒に食べられるようになりました。当初は濃かったスープも、現在のように薄い色になっていきます。
特に、コーレーグース(島唐辛子の泡盛漬け)をそばにかけるという慣習は沖縄独自なものとして広まっていきます。このように発展していった「志那そば」は「琉球そば」と呼ばれるようになりました。
女性たちの奮闘
西暦1945年、日本は戦争で敗北し、沖縄は米軍の統治下におかれました。ここから沖縄のそば屋は姿を消していきます。そば屋を復活させたのは、戦争で夫を亡くした女性達。未亡人となった彼女らは生活の収入を得るため、そば屋を復活させたのです。
「そば」は手軽に食べられ、お店側としても客の回転率がよいという飲食店のメリットがあります。そのため、沖縄県内でそば屋が増えていきます。
かつて「支那そば」と呼ばれていたものは「琉球そば」と呼ばれるようになり、そして「沖縄そば」と呼ばれるようになりました。「琉球そば」は戦前にもありましたが、「沖縄そば」と呼ばれるようになったのは戦後からです。
沖縄各地でそば屋が増えると、店のオリジナリティを活かしたそばも生まれます。宮古の「宮古そば」、八重山の「八重山そば」など、「沖縄そば」以外の「○○そば」という呼称が各地で見られるようになりました。
「沖縄を代表するソウルフード」として愛され発展を続けた「沖縄そば」ですが、ここでまさかの「沖縄そば消滅の危機」が訪れるのです。
「沖縄そば」の呼称をめぐって
沖縄が本土復帰を果たして4年後の1976年(昭和51年)、公正取引委員会は「蕎麦粉を30パーセント以上混合していない沖縄そばを『そば』と表示することはできない」と、沖縄生麺協同組合へ通達しました。
「沖縄そば」は戦後の沖縄でソウルフードの1つとして発展し、「沖縄そば」の呼称も定着してきました。そのタイミングでの通達であり、「沖縄そば」の名称を改めて「沖縄風中華麺」に変更せよとのことでした。
その通達に対し立ち上がったのが、当時沖縄生麺協同組合理事長(当時)をしていた土肥健一さん。彼を中心としたメンバーは「沖縄そば」の名称存続を訴えるべく、沖縄総合事務局内にある公正取引室に出向き幾度も嘆願します。
それでも「沖縄そば」の呼称が認められませんでした。すると、今度は東京本庁へ出向き、「沖縄そば」の呼称使用のための話し合いを開きます。何度も何度も本庁へ通った努力が報われ、1977年、ついに「沖縄そば」の名称を使用する許可が下りたのです。
ただし、「沖縄そば」の呼称使用については、いくつかの制限がつく事となりました。その1つは「沖縄そば」の名称は、沖縄県内のみの使用に限ること。そうなると、沖縄県外では「沖縄そば」を「沖縄そば」として食べられない事になります。
それではダメだと、県外での「沖縄そば」の呼称を認めるべく、さらなる交渉を続けました。公正取引委員会や全国めん類公正取引協議会との交渉の末、1978年10月17日、公正取引委員会から「本場沖縄そば」の商標登録が正式に承認されたのです。
また、「沖縄そば」については「本場沖縄そば」の定義というものが、次の条件を全て満たすことで定義されています。
①沖縄県内で製造されたもの
②手打ち式(風)のもの
③原料小麦粉[タンパク質11%以上、灰分0.42%以下のもの]
④加水量[小麦粉重量に対し34%~36%以下]
⑤かんすい[ボーメ2度~4度]
⑥食塩[ボーメ5度~10度]
⑦熟成時間[30分以内]
⑧めん線[麺の厚さ1.5~1.7mm]切刃番手[薄刃の10番~12番]
⑨手もみ[裁断されためん線は、ゆでる前に必ず手もみ(工程)を行う]
⑩ゆで水のpH8~9
⑪ゆで時間[約2分以内で十分可食状態であること]
⑫仕上げ[油処理してあること]
この12の条件全て満たす事が必要であり、1つでも欠けると「沖縄そば」の表示は認められないとされています。
「沖縄そば」の名称使用を認められたのが1978年10月17日。後の1997年、沖縄生麺協同組合は10月17日を「沖縄そばの日」として制定しました。
実は「沖縄そば」が認められてまだ50年足らず、「沖縄そばの日」の制定からは30年も経っていないのです。昔からある「沖縄そば」ですが、それが公式になってからの歴史はまだ浅いというわけです。
私はつい数日前も
首里寒川にある和々で沖縄そばを食べました。この和々そばを食べてから、うどん派から沖縄そば派になりました。それぐらい美味しいですよ。
皆さんも今日に限らず、食べたい時に食べたい沖縄そばを存分に食べて下さい。ちなみに私は軟骨ソーキそばが大好きです。
今回はこの辺で。
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