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首里城の赤に挑んだ男達 ~その5(最終回)~

2020年01月27日

こんにちは、マルキヨ製菓広報担当の仲宗根です。昨日はずっと雨降りだった沖縄ですが、今日はいい天気。最高気温は23度とまずまずですが、朝から風が強く、外を歩くとけっこう寒さを感じます。
 
明日の火曜日は旧暦の1月4日で「ヒヌカンウンケー」という行事の日となっています。【ウガンブトゥチ】で天に戻ったヒヌカン(火の神)が再び家庭に舞い降り、約1年間、家庭を見守り続けます。
0_0116_09ヒヌカンに手を合わせている家庭はウチャヌクを供え、天から降りてくるヒヌカンを迎え入れましょう。ヒヌカンウンケーが終われば、今度はジュウルクニチーという大きな行事がやってきます。
 
マルキヨ製菓はその準備のため、今週・来週と大忙しです。この行事ではヒヌカンではなく、ご先祖様ににお供えするお菓子をたくさん作りますよ。
 
さて、今回のブログでは、過去4回にわたってお送りしてきた首里城の「赤」に挑んだ男達の話の最終回をお送りしたいと思います。去年、NHKが「首里城」に関する番組を名作シリーズとして5夜連続で放送。

 

第3夜放送の「プロジェクトX:炎を見ろ赤き城の伝説~首里城・執念の親子瓦~」(2002年2月放送)。すごく感動的な内容でしたので、ブログを通してその内容を記録しつつ、このブログを読んでくれる方にお伝えしたいと思います。
 

バックナンバー

 
「その1」では、首里城復元に必要不可欠な男達を紹介。復興計画が起ち上がったところまでを紹介しました。

⇒【首里城の赤に挑んだ男達 ~その1~

 

古文書の鬼と呼ばれた高良倉吉があらゆる資料を洗い出し、その情報を元にチームがアジアの国々に飛んで、首里城復元のデータを収集。

 

戦前、首里城の赤瓦を葺いた瓦職人・奥原崇実(おくはらそうじつ)が、首里城の赤瓦を復元させようと立ち上がりますが、病に倒れ入院。

 

息子の崇典(そうてん)が「子供の頃から父に瓦作りを仕込まれていた自分なら、首里城の赤瓦を焼く事ができる」と、首里城の赤瓦に挑む事になりました。

⇒【首里城の赤に挑んだ男達 ~その2~

 

「首里城の瓦は生やさしいものではない。やめろ」と父に警告されるも、崇典は瓦を焼き続けます。しかし、沖縄の台風に耐える強度と、首里王朝時代の気品を合わせ持った瓦が焼けずに苦悩。
 
1億円もの借金をし、何万枚もの瓦を焼くも失敗ばかり。体重が10kgも落ち、追い込まれた状況に陥ります。
 
一方、高良倉吉を中心とするチームは、探し出した古文書の情報から、首里城の柱や壁の赤を特定。しかし、どうしても窓の格子に塗られた赤色の正体がわからない。
 
顔料が赤土という事まで突き止めていましたが、沖縄本島どこを探しても赤土が見つかりませんでした。

⇒【首里城の赤に挑んだ男達 ~その3~
 
来る日も来る日も古文書に目を通した高良倉吉。ついに、赤土が久米島にある事を示唆する文書を見つけ、待望の赤土を見つけました。
 
一方、首里城の赤瓦が焼けずに苦しんでいた崇典の元に、自宅療養の父・崇実が現れます。「炎を見ろ」という父のアドバイスを元に、瓦を焼くこと数十時間。ついに、台風にも耐える強度と、首里王朝の気品を合わせ持った赤瓦を焼く事に成功しました。
 

首里城復活

 
奥原崇典(そうてん)は莫大な借金をし、膨大な数の瓦をダメにしてきましたが、ついに首里城の赤瓦を焼く事に成功。その様子を見守った父の崇実(そうじつ)は、作業台に向かい、腰を下ろします。
 
病に倒れて以降、実に3年ぶりに瓦を作り始めました。雲の形をした「雲形飾り瓦」。雨を降らせて、首里城を火災から守る祈りの瓦です。
 
平成3年、首里城の塗装が開始。柱は赤口を使用した燃えるような「朱」、壁は純度100%の弁柄、格子は久米の赤土を使用し、風格のある「赤」達が首里城を覆っていきます。
 
そして瓦葺きは、瓦を焼いた奥原崇典、そして父親の崇実が直接手がけました。戦前、首里城の瓦を葺いた崇実は、60年ぶりに首里城の屋根から那覇の風景を見渡しました。
 
数にして5万5000枚。耐震性と気品を備えた赤瓦が、首里城の屋根を埋め、戦争で焼失して以来47年ぶりに、首里城はその姿を現したのです。
 
前原房敬、源武雄、奥原崇典、奥原崇実、高良倉吉、鎌倉芳太郎、中村康石・・・
 
今回の記事で紹介できなかった人も含め、実に多くの人たちの執念により、威風堂々とした幻の赤い城がついに復活を果たしたのです。
 

本当にギリギリだった赤瓦

 
奥原崇典が焼くのに失敗した瓦は約6万枚。首里城に使用された赤瓦は正殿だけでも約5万5000枚ですから、それ以上の失敗があったわけです。2000枚焼くのに、50万円のコストがかかりますし、瓦を焼くために1億円の借金をして瓦工場を新築してもいます。
 
また、首里城復元の際、瓦の行程だけが遅れた状況が続いていましたので、奥原崇典は精神的にも金銭的にもギリギリまで追い詰められていた事がわかります。本人はお金の事は気にせず瓦を焼いていたそうですが、完成後にその金額を知ってびっくりしたそうです。
 
首里城復活は、父の崇実さんが誰よりも感動し、喜んでいたと言います。首里城の完成が近くなるほど、崇実さんの体力は回復し、かねてより「首里城を復活させる時は、自分が瓦を葺く」と言っていたことも実現させました。
 
崇典は、最高の親孝行が出来たと語ります。当時78歳だった父親の姿を見て、「これは100歳までは軽く生きるだろう」と感じました。ところが、城の完成から1ヶ月後、崇典さんの仕事を夕方まで見守った父親は翌日の朝、容態が急変。
 
育て上げた11人の子供達に見守られ、永眠しました。最後の大仕事のため、大きな命の炎を燃やし、力尽きたのです。
 
父の技術と意志を受け継いだ奥原崇典は「沖縄一の瓦職人」と言われますが、そんな彼もまた、2014年3月12日、肝臓がんのために死去。
 
独特な土の配合と、通常では考えられない1100度を超える温度で、首里城の赤瓦を焼き上げたその技術は継承者がおらず、今ではその赤瓦は再現不可能と言われています。
 
私は首里城の近くに住んでいて、火災当時もベランダからその焼ける姿を見ていました。
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胸をえぐられるような感覚を、何十年ぶりかに味わいました。多くの県民が、深く深く心を痛めた事でしょう。
 
1度は復活を成し遂げた首里城です。再び熱い思いを持った人達が、遠くない未来、立派な首里城を復元してくれると信じ、今回の特集記事を締めたいと思います。
 

いいそーぐゎちでーびる(明けましておめでとう)

 
今日は旧暦の1月3日という事で、旧暦の世界では新年となっています。旧暦で新年というのも不思議な感じがしますが、改めて明けましておめでとうございます。
 
今年もマルキヨ製菓は、美味しいお菓子を届け、食べた方が笑顔になれるよう、そして沖縄の行事を支えるため、誠実にお菓子を作っていきたいと思います。
 
この1年も、マルキヨ製菓をよろしくお願いします。
 
今回はこの辺で。

 

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