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尚泰久と万国津梁の鐘 ④

2018年10月18日

こんにちは、マルキヨ製菓広報担当の仲宗根です。今週は月曜日が雨、火曜日が晴れ、水曜日が雨、そして今日木曜日が晴れと、晴れと雨が交互に来ています。

 

「女心と秋の空」なんて言いますが、天候のうつろいやすさは秋の訪れを象徴しているのでしょうか? それにしても今日は最高気温26度(yahoo調べ)で、なかなか暑いです。笑

 

さて、ここしばらくの木曜日は「尚泰久と万国津梁の鐘」シリーズを掲載しています。

 

第一尚氏第5代国王・尚金福が亡くなった1453年、志魯・布里の乱(しろふりのらん)が勃発。後継候補の2人が死去した事により、尚泰久が第6代国王として即位。

⇒【 尚泰久と万国津梁の鐘 ① 】

 

乱れた国を立て直そうとした矢先、国内最大の内乱と言われる護佐丸・阿麻和利(ごさまる・あまわり)の乱が勃発。

⇒【 尚泰久と万国津梁の鐘 ② 】

 

護佐丸・阿麻和利の乱と、その数年で祖父・夫・父を亡くした百度踏揚(ももとふみあがり)。その悲劇はさらに続きます。そして、尚泰久王が万国津梁の鐘に込めた願いとは。

⇒【 尚泰久と万国津梁の鐘 ③ 】

 

いよいよ今回で、このシリーズは最終回となります。

 

尚泰久王は1454年、39歳で国王に即位すると、4つの寺の建立を命じています。

 

その1つに、現在の那覇市久茂地(くもじ)にあった「広厳寺(こうごんじ)」があります。1609年の薩摩侵攻により消失。後に再建されるも、琉球処分後には廃寺となっています。

 

尚泰久王自ら帰依(神仏の力に頼り、よりどころとする事)していたという記録が残っており、例えば4年の間に23口(こう)もの梵鐘を造って、お寺だけでなく首里城や各所に寄進しています。

 

護佐丸・阿麻和利の乱が起こった1458年には万国津梁の鐘の鋳造を命じ、仏教を基軸とした国家の安寧を願いました。しかし、その2年後の1460年、尚泰久王は在位7年、45歳の若さで没することになります。

 

護佐丸・阿麻和利の乱からわずか2年。少しずつ混乱の世が収まりつつある中での薨去(こうきょ)でした。あれほど強く国家の平和を願っていた尚泰久の夢は、その死後、もろくも崩れ去ります。

 

第7代国王として即位したのが尚徳王(しょうとくおう)。尚泰久王の第3子として生を受けたのですが、わずか29歳で亡くなると同時に、第一尚家最後の国王となってしまいます。

 

仏教に帰依し、国家安寧を願った父とは違い、傍若無人な振る舞いで国民を苦しめていたと伝わります。反発した国民には軍隊を送って制圧するなど、次第に国民の心は「新しい指導者」を望むようになりました。

 

尚泰久王の重臣であった金丸が「君子たる者、民を慈(いつく)しむ心が第一」と諭すも、全く聞く耳を持たない尚徳王。必然的に、この暴君の元を多くの臣下が去って行きました。

 

その尚徳王はわずか29歳で急死する事になりますが、どの資料にも「尚徳王が暴君だったこと」「29歳で急死したこと」を述べるだけで、次の第二尚氏誕生を正当化するために暗殺されたのではとも言われております。

 

尚徳王が死ぬと、その世子を次の国王にというのが世の慣例。しかし尚徳王時代の暴政があだとなり、これに賛同する者より反対する者の方が多く、それどころか跡継ぎは殺害され、クーデターが起こってしまいます。

 

新しい指導者として推挙されたのが、すでに隠遁生活を送っていた金丸です。ここで尚巴志より続いた英雄の血は途絶え、第二尚氏王党が誕生するのです。

 

金丸は尚円王として国王に即位、第二尚氏初代国王となりました。金丸は農家の出身で、ついには国王にまで上り詰めたわけです。彼の人生もまた波瀾万丈、いつか別の形で金丸にスポットを当てた記事を書こうと思います。

 

国家安寧のために尽力した尚泰久王。彼の子どもがその夢を破綻させ、重臣だった金丸が第二尚氏の国王になるとは、なんとも皮肉な結果です。

 

ここで、軽く第一尚氏を振り返ってみましょう。

 

第一尚家の初代国王は、尚巴志の父親である尚思紹(しょうししょう)王でした。三山を統一する以前の尚巴志は、中山王であった武寧を倒し、父親を国王として即位させたのです。

 

これが尚家の第一王党の始まりです。

 

初代:尚思紹(しょうししょう)王 在位1406~1421年(死去)

第2代:尚巴志(しょうはし)王 在位1422~1439年(死去)

 

第2代国王の尚巴志の時に、三山を統一します(1429年)。しかし、尚巴志亡き後は

 

第3代:尚忠(しょうちゅう)王 在位1440~1445年(死去)

第4代:尚思達(しょうしたつ)王 在位1445~1449年(死去)

第5代:尚金福(しょうきんぷく)王 在位1450~1453年(死去)

第6代:尚泰久(しょうたいきゅう)王 在位1454~1460年(死去)

第7代:尚徳(しょうとく)王 在位1461~1469年(死去)

 

と、尚巴志とその父親の在位合計が約34年である事を考えると、第3代以降は、いずれも在位が短く短命の政権でした(第3~第7までの国王の在位合計年数は約30年)。

 

第7代の尚徳王に関しては、わずか29歳で死去。さらにはクーデターにより、その跡継ぎも殺されてしまい、ここで尚家第一王党の終幕となったわけです。

 

そして、金丸は尚家第二王党の初代国王・尚円王として即位することになります。

 

「クーデターを起こし、金丸が政権を乗っ取った」という事実だけに着目すると、「尚泰久に取り立ててもらったのに、なんてひどいやつだ!」と思う人もいるでしょうが、その実情・内情は先の通りです。

 

平和のため尽力した尚泰久王、そして自己中心に暴政をふるった尚徳王。対照的なこの2人を見てきた金丸がどんな治世を行ったのか。その話は、またいつかという事で。

 

4回にわたって記事にしてきた尚泰久王のお話は、ここでいったん終えたいと思います。

 

先週、マルキヨ製菓スタッフの息子さんの結婚披露宴に参加してきました。非常に多くの出席者がいて、「人望もなく友達のいない私なら、こんなに人を呼べないな」と思いました。笑

 

たくさんの余興と動画メッセージが、会場の雰囲気を感動と祝福のムードで満たしていました。非常に素敵な結婚披露宴だったと思います。心より、ご結婚おめでとうございます!

 

個人的にもう1つ特筆すべきは司会。ハルサーミュージシャンでお馴染みのアイモコのモコちゃんが司会をしてくれていました。細くて綺麗で、何よりも司会っぷりが素晴らしかった。

 

語りの上手さはもちろん、アドリブでのトーク展開、喋っていない時も会場を見渡して素晴らしい所に気づいたらそこを褒める。新婦が両親へ宛てた手紙を読んだ時は、共に涙する。

 

披露宴も感動しましたし、司会の上手さにもとっても感服して、非常に良い時間を過ごせました。披露宴の後、「本当に素晴らしい披露宴になったし、素敵な司会でした。ありがとうございます」とお礼を言って、快く握手までして頂きました。

 

もし、これから披露宴を考えている方で、司会者にモコちゃんをセッティング出来る方は是非ともオススメですよ!

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写真は準備を始めているハロウィン期間限定お菓子のパンプキンパイ(写真は去年のもの)。

 

今回はこの辺で。

 

Dee沖縄さんによる「マルキヨ製菓工場見学」の記事はこちらです。

⇒【めくるめくウチナー菓子の世界!マルキヨ製菓に潜入取材

 

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