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尚家によるシーミー

2022年04月12日

こんにちは、マルキヨ製菓広報担当の仲宗根です。昨日あたりから暑い! とうとうクーラーの使用頻度も増えている状況です。今日は最高気温27度の沖縄。天気もよく、外を歩くとすぐに汗が出ます。

 

4月に入ってしばらく、例年より気温が低くて沖縄らしくない日々が続いていましたが、先週の後半あたりから一気に気温が安定して高くなっています。先週の火曜日、二十四節気の清明を迎え、沖縄はご先祖様のお墓参りをするシーミーという行事がスタートしました。

 

4月のこの時期、沖縄はシーミーの期間。前回のブログで【カミウシーミー】についてお話ししました。先週の土日で、【カミウシーミー】を行った所も多いでしょう。あるいは、一般のシーミーも、気持ちよく終わらせた方もいるでしょう。

 

今日もシーミーについてのお話しになります。

 

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二十四節気の1つ「清明」は「万物が清らかで生き生きした状態のこと」を意味する言葉です。農作業が始まる頃であり、中国ではこの時期、ご先祖様のお墓参りをして墓掃除をし、ご先祖様に豊作を祈願しました。

 

「清明の時期に、ご先祖様のお墓参りをする」という行事は、中国から日本へと伝わったのです。

⇒【今日は清明

 

ご先祖様のお墓参りをするシーミー。まずは「ムンチュー」単位で「カミウシーミー」を行い、その後、家族単位の一般のシーミーを行うところが多い沖縄。沖縄は「ムンチュー」の結束力が強いですが、それが活発になった歴史的な背景があります。

⇒【シーミーと尚家

 

伊是名島の玉陵

琉球の歴史書『球陽』には、1768年、当時の琉球国王である尚穆(しょうぼく)王がシーミーを行ったという記録があります。王家の陵墓「玉陵(たまうどぅん)」でシーミーを行い、それ以降は毎年行っていたようです。

 

玉陵は首里城の近くにあり、私も何度か訪れています。琉球処分で琉球王国が滅亡して以降も王家によるシーミーは続いていましたが、戦後しばらくはそれが中断していました。

 

尚家によるシーミーを復活させた人物が尚衛(しょうまもる)さん。琉球最後の王・第2尚氏第19代国王・尚泰(しょうたい)王の玄孫(やしゃご)であり、彼は第2尚氏第23代当主にあたります。

 

玉陵は首里だけでなく、第2尚氏初代国王・尚円王の故郷である伊是名(いぜな)島にもあります。首里にある玉陵は国王や王族の眠る場所ですが、伊是名の玉陵に眠っているのは、主に金丸(後の尚円王)の親族です。

 

尚家によるシーミーを復活させる尚衛(しょうまもる)さんの父親であり、第二尚氏第22代当主である尚裕(しょうひろし・1997年没)さんも、伊是名玉陵に納骨されています。

 

琉球国最後の国王である尚泰王(しょうたいおう)のひ孫で、歌人としても知られる井伊文子(いいふみこ・2004年没)さんも分骨されています。彼女の夫は、桜田門外の変で暗殺された大老・井伊直弼のひ孫にあたる井伊直愛(いいなおよし)という人物です。

 

第二尚氏の始祖・金丸(後の尚円王)の子孫にあたる「四殿内(ゆとぅぬち)」と呼ばれる四家があります。彼らを中心に、伊是名玉陵で行われるシーミーは「公事清明祭(クージシーミー)」と呼ばれています。

 

首里玉陵でのシーミーも復活させる事になりますが、その経緯を追ってみましょう。どんな道具が使われたのか? どんなお供え物があったのか? どのような手順で儀式を行ったのか? それを調べる所から始まります。

 

公事清明祭で使われていた道具は、四殿内の1つである銘苅(めかる)家に残っており、その一部は現在、「伊是名村ふれあい民俗館」に展示されています。公事清明祭はシーミー入りした当日に行われ、「伊平屋嶋玉陵公事帳」にその記録が残っていました。

 

首里玉陵でのシーミー

衛さんは首里玉陵でのシーミーを復活させるため、現在も那覇市長を務める城間幹子さん(伊是名村出身)に玉陵の使用許可を申請、協力要請を行い、2018年にそれが叶う事になりました。

 

2018年、伊是名玉陵で公事清明祭が行われた3日後に、首里玉陵でのシーミーが行われる事になりましたが、その際、伊是名村の全面協力のもと、公事清明祭で使われた祭事用具も使用されました。

 

琉球国の正史として編纂された「球陽」によれば、玉陵でシーミーを行った翌日には「浦添ようどれ」という場所でもシーミーを行うと記されています。

 

「浦添ようどれ」は、こちらも琉球王国の陵墓となっており、ここには第二尚氏第七代国王の尚寧(しょうねい)王が眠っています。何故、尚寧王は首里玉陵ではなく、浦添ようどれに葬られているのでしょうか?

 

第6代国王である尚永(しょうえい)王に跡継ぎが出来なかったため、分家から迎えられたのが尚寧王。しかし、尚寧王在位中の1609年、いわゆる薩摩侵攻を受けてしまい、彼は薩摩へ連行されてしまいました。

 

当時は徳川第2代将軍・秀忠の時代ですが、徳川家康も大御所としてその権力をふるっていました。尚寧王は、今の静岡にあたる駿府で徳川家康に、江戸では秀忠に謁見しています。

 

さらに「薩摩の起請文(きしょうもん)」に署名させられ、当時薩摩を治めていた島津氏に忠誠を誓う事になりました。琉球へ戻ったのは、その2年後です。

 

そういう経緯もあり、1620年に亡くなった尚寧王は歴代国王が葬られている首里玉陵ではなく、一族が眠る浦添ようどれに葬られる事になりました。

 

20l8年4月6日。尚衛さんは、息子の尚猛(しょうたける)さんと共に、首里玉陵を来訪。伊是名の公事清明祭で使用された貴重な道具を使用し、古文書を元に当時のシーミーを再現しました。

 

40数年ぶりに首里玉陵で行われたシーミー。神聖で厳かな儀式が行われ、その後は球陽に書かれているとおり「浦添ようどれ」まで足を運び、尚衛さんを筆頭に先祖達への供養を行いました。

 

この一連の儀式の中で、過去の呪縛から解放すべく2つの歴史的な「儀」を執り行いました。1つは「第一尚氏との和解の儀」。第二尚氏は、クーデターにより第一尚氏の後に王家を継いできました。

 

この儀により、第一尚氏と第二尚氏の間にある目に見えない確執を取り除いたのです。

 

そしてもう1つが、尚寧王の時代から続いてきた島津家への従属を誓う「起請文の破棄」です。すでに形骸化されていたとはいえ、改めて破棄を宣言した事で、過去の呪縛からの解放、未来志向で進んで行こうという新たなスタートを切ったのです。

 

コロナの影響で、伊是名島玉陵での「公事清明祭(クージシーミー)」はかなり縮小して行われたようです。首里玉陵でのシーミーは、2018・19年は行われましたが、それ以降、尚家によるシーミーは行われていないようです。

 

マルキヨ製菓は今度の土日、多くの家庭で一般のシーミーを行うだろうと予想し、お供え用お菓子をたくさん作っています。

 

リーズナブルで種類も豊富なマルキヨ製菓のお菓子。今年のシーミーに是非、ご先祖様へお供えして下さい。

 

7020904今回はこの辺で。

 

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