ひな祭り ~前編~
2019年02月25日
こんにちは、マルキヨ製菓広報担当の仲宗根です。ここ最近はずーーっと雨・雨・雨ですねぇ。土日も雨に降られ、「なんだかなぁ」という人も多かったのではないでしょうか?
さて、気がつけば今週で2月も終わり。次の日曜日は3月3日であり、新暦3月3日と言えば「ひな祭り」です。ちなみに旧暦の3月3日は「浜下り」という行事の日なのですが、浜下りについては時期が来たらお話しします。
今週は「ひな祭り」用のお菓子を作るため、またまた忙しい日程が組まれています。お菓子の紹介は週末のブログでやるとして、今回のブログでは「ひな祭り」について過去ブログの記事を加筆・修正してお話ししたいと思います。
~~~~~~~~~~~~【過去ブログより】~~~~~~~~~~~~
「桃の節句」とも呼ばれる新暦3月3日の「ひな祭り」。「女の子の行事」と言われ、一般にはひな人形等を飾り、女の子の幸せや健康を祈る日とされています。
一説には、奈良時代からあると言われる行事ですが、かつては「女の子の行事」というわけではありませんでした。
では、いつ頃から「3月3日、桃の節句は女の子の日」と定着していくのでしょうか? 今回はそんな「ひな祭り」について学んでいきましょう。
「ひな祭り」は別名「桃の節句」と言いますが、まずはこの呼び方の由来から。そのために、まずは「節句」についてお話ししましょう。
「節句」とは「節」の漢字が表す通り「節目」とされる日ですが、中国の陰陽五行説に由来する「五節句」というものがあるのです。昔むかしの中国では、1年の中で季節の変わり目にあたるとされる日として、次の5つを定めました。
1月7日:人日 (じんじつ)の節句
3月3日:上巳(じょうし)の節句 ※上巳(じょうみ)とも読む
5月5日:端午 (たんご)の節句
7月7日:七夕(しちせき)の節句
9月9日:重陽(ちょうよう)の節句
1月7日以外は、33,55,77,99とゾロ目ですよね。ならば1月1日を節句にしたい所ですが、年頭にあたる1月1日は最も特別な日として、五節句からはハズれているのです。
そこで年が明けて7日目にあたる1月7日を「人日 (じんじつ)の節句」と定めました。その日は七草がゆを食べる日となります。
中国の「五節句」の中で3月3日は「上巳(じょうし)の節句」となっていますが、日本人に馴染みの深い「桃の節句」という呼び方は、いわゆる通称となります。
後に説明しますが、「ひな祭り」は「厄除け」の行事でもあります。そして旧暦の3月上旬は桃の花が咲く頃であり、中国では昔から「桃は悪いものをよせつけない魔除けの力がある」と信じられていた事から、「桃の節句」という呼び方が広まりました。
日本では「上巳の節句」と言われてもピンとこないでしょう。ちなみに桃の花は鮮やかなピンク色の花びらを持ち、その美しさから短歌や俳句などの多くの文学的作品で取り上げられてきました。
そういう点で「女の子の日」とされる「ひな祭り」を「桃の節句」と呼ぶのは、イメージとしてもピッタリだと思います。
以上が「桃の節句」という呼び方について。次に「ひな祭り」の起源についてお話ししましょう。歴史をさかのぼること、今から何と1700年以上も昔。3世紀頃の中国では「3月の上巳の日」に、川に入って身を清める「みそぎ」の習慣がありました。
ちなみに、沖縄では旧暦の3月3日、女性が海に入って身を清める「浜下り」という行事がありますよね。
「3月の上巳の日」というのは、もともと「3月上旬の巳(み)[十二支の巳(み)]の日」をさし、当初は3月3日ではありませんでした。三国時代の魏の時代に「上巳の日=3月3日」になったそうです。
中国の「みそぎ」の習慣が日本に伝わってくるのですが、伝わった時期はハッキリとはわかっていないそうです。一説によると奈良時代にそれが日本に伝わり、まずは宮中内、すなわち貴族達の間で広がっていきます。
しかし彼らは「水に入るのと寒い」という事で、「ならば身代わりを立てよう」という事になりました。木やワラを人の形にし、それを自分の身代わりとして川に投げ入れ、「みそぎ」を行ったのです。
個人的には「大切なみそぎの行事なのに、身代わりを立てていいのだろうか?」なんて思っちゃいますが。
この身代わりになった「木やワラで出来たもの」を「人形(ひとがた)」と呼びます。平安時代になると公式な役職でもあった陰陽師が、人形を紙で作り、それが広まっていく事になります。
現在でも鳥取県や奈良県などでは、「流し雛(ながしびな)」という行事が行われています。人形(ひとがた)を川や海に流して、自分の代わりにみそぎとして厄払いをする、まさに「ひな祭り」の起源となる行事です。
「流し雛」は源氏物語(須磨の巻)にもその描写が出てくるので、その歴史は実に1000年以上というわけです。
この時点では特に「女の子の行事」というわけではなく、いわゆる貴族階級の宮中行事という位置づけでした。この「人形(ひとがた)」は、雛人形の起源の1つになりますが、他にも雛人形の起源となるものがあります。
平安時代、貴族の娘達のあいだで「紙人形」を使った「おままごと」が流行しました。この紙人形の事を「雛(ひいな)」と呼び、それを使ったおままごと等の遊びを「雛(ひいな)遊び」と言いました。
先ほど述べた「流し雛(ながしびな)」の「雛」は、ここから来ています。
さらに「雛(ひいな)遊び」とは別に、「天児(あまがつ)」や「ほう子」と呼ばれる(こちらは布製)の人形がありまして、それを赤ん坊の枕元に置くという風習がありました。
赤ん坊の遊び道具としてだけでなく、子供の代わりに悪いものを受け止めてくれる、まさに「人形(ひとがた)」の役割を担っていました。
まとめますと、自分の身代わりにみそぎをしてくれる「人形(ひとがた)」、おままごとに使う紙人形「雛(ひいな)」、さらには赤ん坊の守り役的存在の「天児(あまがつ)」や「ほう子」という布製人形、これらがミックスして「雛人形(ひなにんぎょう)」の起源となったようです。
ただ、平安時代の時点では「雛人形」を飾り「ひな祭り」を祝うという、今の形態は出てきません。今の形の「ひな祭り」が出始めるのは、さらに500年も後の戦国時代~江戸時代からとなります。
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今回は、「桃の節句」「ひな人形」の由来や起源についてのお話で止めておきます。次回、木曜日のブログでは、ひな壇にひな人形を飾りお祝いするようになった江戸時代の話をしたいと思います。
写真は過去のひな祭り用お菓子「桜もち」「ひしもち」です。餅は賞味期限が短いため、ひな祭り直前に「2019年版の桜もちとひしもち」を紹介する予定です。
さて、今日の午前は雨は降っていませんが、どんより雲が空を覆い、いつ雨が降ってもおかしくない様子です。
そして今日は国立大学の2次試験の日でもあります。受験生は今頃、大学入試問題と格闘している頃でしょう。
長い人生、色々な山場に立ち向かわなければならない場面は必ずあります。ベストを尽くして頑張って頂きたいですね。
マルキヨ製菓も沖縄で行われる行事を支えるため、ベストを尽くしたいと思います!
今回はこの辺で。
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