「エイサー」より激しく踊る「盆踊り」?
2025年08月15日
こんにちは、マルキヨ製菓広報担当の仲宗根です。今日は朝からいい天気の沖縄。ただ、出勤時に車が濡れていたので夜の間で雨が降っていたようです。現時点では非常に天気が良く、雨が降る気配はありません。
とはいえ、沖縄の天気は変わりやすいので、外出時はしっかり空模様をチェックしましょう。私も油断してカタブイにやられる事多数。「晴れていたはずなのに、急にカタブイが…」ってのは沖縄あるあるですね。
さて、今日は8月15日。本土では今日、お盆最終日としてご先祖様を送り出します。旧暦で盆を行う沖縄は9月4日から6日がその期間になりますので、あと3週間ほど先になります。まだお盆の準備を開始していない方は、そろそろ始めておきましょう。
今日は本土にとってお盆最終日。そして、明日あさっては土日という事で、盆踊りのイベントも全国各地で行われています。ちなみに愛知県豊田市では、8月17日の日曜日、豊田スタジアムで「豊田沖縄ふれあいエイサーまつり」が開催予定です。
沖縄のエイサー、今や全国のイベントでも見られるようになりましたね。今回はお盆に関連して、盆踊りの話をしましょう。
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釈迦の弟子の1人、目連は飢えと渇きで苦しむ餓鬼道へ墜ちた母親を救うために奮闘していました。釈迦のアドバイスにしたがい、多くの人にも施しを与える事で、母親を苦しみから救うことが出来ました。
⇒【身内以外にも施しを与える】
「お盆」の「盆」という字は、「逆さ吊り」を意味するサンスクリット語「ウラバンナ」に対する当て字「盂蘭盆(うらぼん)」からきています。また、日本でお盆が行われたのは、今から1400年以上も前のことです。
⇒【1400年以上続く行事】
線香をあげる理由は、仏教において香りは故人の食べ物であるという認識からです。また、沖縄独特の平たい線香「ヒラウコー(平御香)」は、その煙によって故人と繋がりを持てると言われています。
「エイサーの祖」と言われているのが「袋中上人(たいちゅうしょうにん)」と呼ばれる人物。福島県出身の彼は、琉球発展のためにも尽力しました。
エイサーを踊る集団でひときわ目立つ「チョンダラー」。漢字で「京太郎」と書く「チョンダラー」は人を笑わせる滑稽な動きとは裏腹に、相当な実力者が演じるのです。
⇒【エイサーとチョンダラー】
「踊り念仏」から「念仏踊り」へ
沖縄ではお盆の時期、「エイサー」を踊る人達をたくさん見かけます。太鼓やパーランクーを打ち鳴らし、ダイナミックに踊る踊りとは対照的に、本土でお盆の時期に踊る「盆踊り」は、ゆったりした感じで踊るイメージがあります。
私が子供の頃は、沖縄でも「盆踊り」のイベントがありました。アニメの曲にのせて踊った記憶があります。最近の沖縄では、ほぼエイサーのイベントになっていると思います。
浴衣を着た人達がやぐらや舞台を前にゆったりと盆踊りを踊る姿は、本土における夏の風物詩と言えるでしょう。今でこそエイサーに比べるとゆったり踊るイメージの盆踊りですが、かつてはエイサーもかなわないほど激しい踊りだったという事をご存知でしょうか?
「盆踊り」の起源は平安時代の「踊り念仏」と言われています。「踊り念仏」は、太鼓や鉦(かね)を打ち鳴らし、踊りながら念仏を唱えるものです。その起源は平安時代までさかのぼり、空也(くうや)という僧が始めたと言われています。
空也は今から1000年以上も前、西暦900年代に活躍した人物。「南無阿弥陀仏」と唱えながら諸国を巡り、橋を架けたり道を整備するインフラ事業を手掛けるなど、民衆のために動いていました。
空也は関連資料が乏しい事もあり、「踊り念仏」を創始したという確かな記録はありません。ただ、「踊り念仏」を日本に広めたとされる人物はハッキリとわかっており、それが鎌倉時代に活躍した僧・一遍(いっぺん)です。
時宗の開祖である一遍は、1279年に信濃国を訪れ、尊敬する空也に倣って踊り念仏を始めたと言われています。各地に赴き、周りの人達に「念仏札」なるものを配りながら、「踊り念仏」も広めていきました。
激しく念仏を唱え、太鼓を打ち鳴らし、一心不乱に踊る事でトランス状態に陥り、独特な三昧(ざんまい)の境地に達します。そうする事で、この世の苦しみから救済されるという「踊り念仏」。
一遍は「念仏が阿弥陀の教えと聞くだけで踊りたくなるうれしさ」と表現してており、その喜びを激しい踊りで表現することが「踊り念仏」というわけです。
「踊り念仏」は「念仏を唱える」事がメインであり、踊りは念仏の後に続くものでした。やがて時代が過ぎていくと、念仏を唱えるという宗教色が薄れ、踊る方の芸能色が強くなっていきました。
踊る際の衣装は時代と共にきらびやかになり、太鼓を派手に打ち鳴らす。唱えていた念仏も歌に変わり、「念仏を唱えること」でなく「踊る事が主体」になっていくのです。
「念仏を唱えること」がメインの時は「踊り念仏」と呼ばれていましたが、「踊ること」が主体になると「念仏踊り」と言われるようになります。
「念仏踊り」から「盆踊り」へ
「踊り念仏」も「念仏踊り」も、特に決まった時期に踊るものではありません。盆の時期に踊る事もあれば、盆とは関係のない正月などに踊る事もありました。
やがて、盆の時期に踊る「念仏踊り」は「盂蘭盆会(うらぼんえ)」と結びつき、「死者を供養する踊り」として定着していきます。そしてこれが「盆踊り」の起源となりました。
時代が戦国時代まで進むと、「盆に踊る念仏踊り」が都の貴族や士族らを中心に広まります。さらに時代が進むと、一般庶民にまで広まっていきました。
一般庶民に広まる頃には、宗教的側面はかなり薄くなっていました。江戸時代になると、盆の時期になれば地域単位で踊りを踊るようになります。その踊り方も地域によって、バラエティ豊かに発展していきます。
ちなみに江戸時代は男女が一緒に参加するイベントが少なく、「盆に踊る念仏踊り」は男女が出会うきっかけの場でもありました。これをきっかけに成立するカップルもいたそうです。
こうして「一般民衆」が「盆の時期」に「地域の人々と踊る」事が定着していくと、それが「盆踊り」の形となり、「盆踊り」という言葉自体も広まっていきました。
盆の起源である、1000年以上前の「踊り念仏」は今の「エイサー」より激しい踊りをしていました。時代の流れと共にその目的や形態を変え、令和の現代では「盆踊り」として受け継がれています。
「エイサー」は「盆踊り」に比べ、ダイナミックで踊る運動量も多いイメージですが、最近はマイケル・ジャクソンやボン・ジョヴィの楽曲でキレキレのダンスを踊る「盆踊り」もあります。
余談ですが、ボン・ジョヴィの楽曲で踊る盆踊りは「盆ジョヴィ」なんて言われています。今からまた数10年後、新しい「盆踊り」が生まれているかもしれませんね。
マルキヨ製菓は今日も旧盆用のお菓子を準備しています。旧盆は是非、マルキヨ製菓のお菓子やお餅もご先祖様にお供えください。
今回はこの辺で。
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