ひな祭り①
2025年02月18日
こんにちは、マルキヨ製菓広報担当の仲宗根です。今日はまた気温が落ち、朝は肌寒かった沖縄です。最低気温13度、最高気温は17度です。明日以降はさらに気温が落ちそうなので、寒さ対策は意識して過ごしましょう。
先週、暖かくなった時「もう寒くなる日はないかな」と言ってましたが、予想はハズれちゃいましたね。寒さに負けず、仕事を頑張りたいと思います。
さて、「ジュウルクニチー」という大きな行事を終えてホッとひと息つきたいところですが・・・ 「ひな祭り」「春彼岸」「浜下り」「シーミー」と、この1カ月で対応する行事はまだまだたくさんあります。
今回はそれらの行事の中から、「ひな祭り」についてお話ししましょう。
上巳の節句
3月3日「ひな祭り」は「桃の節句」とも呼ばれます。「節句」とは何のことでしょうか? また、2月上旬にあった「節分」との違いは何なのでしょうか?
「節句」も「節分」も中国由来。「節」の漢字があるように、どちらも1年の中の節目を表す言葉です。「節分」は季節の分かれ目を表す言葉で、二十四節気の「立春」「立夏」「立秋」「立冬」の前日を「節分」と言います。
「節分」は年に4回あるのに対し、「節句」は年に5回あります。
1月7日:人日 (じんじつ)の節句
3月3日:上巳(じょうし)の節句 ※上巳(じょうみ)とも読む
5月5日:端午 (たんご)の節句
7月7日:七夕(しちせき)の節句
9月9日:重陽(ちょうよう)の節句
5月5日「子どもの日」を「端午の節句」と呼ぶのは日本も同じですが、それ以外の節句は馴染みのない言葉かもしれません。日本では「桃の節句」という3月3日、中国でもその呼び方はありますが、基本は「上巳の節句」と言います。
1月7日は「七草がゆを食べる」、3月3日は「ひな祭り」、5月5日は「子どもの日」、7月7日は「七夕」と、4つの節句は日本でも何かしらの行事がありますが、9月9日はピンと来ないでしょう。中国では9月9日の「重陽の節句」も重要な日となっています。
基本は月と日にちが同じになるぞろ目で設定されますが、1月1日の元日だけは年頭という事もあり、もともとが特別な日。なので1月の節句だけは1月7日に「人日の節句」として設定されています。
中国では「桃に魔除けの力がある」と信じられているため、そこから「桃の節句」という呼び方もあります。「ひな祭り」、実は魔除けの行事でもありますので、この日を「桃の節句」と呼ぶのにふさわしいというわけです。
一般に「ひな祭り」というと「女の子をお祝いする行事」というイメージが強いと思いますが、元々は魔除けの行事なのです。そして、魔除けの中心を担っているのが「雛(ひな)人形」。人形が魔除けとは、これいかに? そのお話をしましょう。
みそぎを嫌う貴族たち
今から1700年以上前、中国では「3月上巳(じょうし)の日」に川へ入って「みそぎ」をする風習がありました。「みそぎ」とは、体についている悪いものをそぎ落とす行為の事です。
「3月の上巳の日」とは「3月上旬の巳の日」という意味で、「上巳の節句」の名前の由来になります。中国は多様な暦が存在し、いわゆる十二支を年だけでなく日付にも割り当てています。
「3月の上巳の日」は必ずしも3月3日になるわけではありません。2025年3月だと、「上巳の日」は3月1日になります。のちに節句となる3月3日に、みそぎを行うようになりました。
そんな中国のみそぎの風習が日本に伝わったのが奈良時代。まず、貴族の間で風習が広まり、一般庶民にまで広がるのはもっと後になります。「3月3日に川へ入って、みそぎをする」という行為ですが、「まだ寒いから、川に入りたくない」と思う貴族たち。
それでも、中国の風習を取り入れる事はイケていることだと信じている彼らは、何とかしたいわけです。たどりついた結論が「身代わりを川に入れよう」でした。
木や藁を人の形にしたものを川へ投げ入れることで「自分の身代わりがみそぎを行った」事にしたのです。個人的にはそれでみそぎの効果が得られるとは思えませんし、逆に「身代わりを立てるとは何事ぞ!」とどこかの怒りを買いそうな気もします。
その身代わりを「人形(ひとがた)」と言いますが、これこそが「雛人形」の原型と言われているものです。しばしの時が流れ、平安時代になると、陰陽師と呼ばれる人が紙で「人形」を作ります。安倍晴明が出てくる映画で見た事ありますね。
今から1000年以上前、平安時代のヒット作『源氏物語』には「自分の身代わりをたて、みそぎをさせ厄払いとする」という記述があります。その時代、少なくとも高い位の人達にとって「みそぎの行事」は、よく知られていたようです。
令和となった現代でも、鳥取や奈良など一部の地域では人形を川に流し、それをもって身を清めるという行事が残っています。「流し雛」や「雛流し」と呼ばれる行事です。ちなみに源氏物語の主人公である光源氏も、人形を流していますよ。
1000年以上も続く「流し雛」は「ひな祭り」の起源の1つと言われていますが、当時のそれは「女の子をお祝いする行事」というわけではありません。
雛と天児
みそぎとして使われた「人形(ひとがた)」は雛人形の原型と言えますが、他にも「雛人形」の元といえるものが2つあります。
1つは平安時代の貴族の娘達の間で流行った「ままごと」で使われた、紙製の人形。「雛(ひいな)」と呼ばれ、それを使ったままごとを「雛(ひいな)遊び」と言います。「雛祭り」や「お雛様」の「雛」は、ここから来ています。
もう1つが赤ん坊を守る人形。平安時代には、赤ちゃんの枕元に布製の人形を置く習慣がありました。その役割は、赤ちゃんに憑こうとする悪い物をこの人形が吸いよせ、赤ちゃんを守るというものです。
この布製人形を「天児(あまがつ)」(または「這子(ほうこ)」)と呼び、これも源氏物語の中に登場します。この習慣は江戸時代以降も続き、その頃には天児を男子、這子を女子に見立てて、雛壇に対(つい)で飾りました。
そして女の子が嫁入りする際は、これを持参する。そんな風習が、江戸時代には確立していたのです。
自分の身代わりにみそぎをしてくれる「人形(ひとがた)」、ままごとに使われた「雛(ひいな)」、赤ん坊の代わりに悪い物を吸い寄せる「(あまがつ)」。これら複数の要素が融合し、現代の「雛人形」になったと言われています。
「上巳の節句にみそぎをする」ことが後の「ひな祭り」につながりますが、少なくとも平安時代におけるこの風習は、「女の子のためのもの」ではありませんでした。
1000年以上も続く風習が「女の子の行事」となるのはいつごろなのでしょうか? その話は次回につなげたいと思います。
2月16日の日曜日、高嶋ちさ子と12のヴァイオリニストのコンサートに行ってきました。ちなみに前回もその前も参加しています。クラシックが好きな私はその演奏に聞きほれ、ちさ子さんのトークで笑い、ヴァイオリニスト達の一芸に驚きました。
この写真はアンコールで撮影許可の出たオッフェンバックの「天国と地獄」の演奏中のものです。素敵なヴァイオリンの音色を聴き、心をリフレッシュできたので、忙しいこの1週間も気合を入れて頑張りたいと思います!
今回はこの辺で。
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