【ひな祭り②】女の子をお祝いするのは江戸時代から
2025年02月25日
こんにちは、マルキヨ製菓広報担当の仲宗根です。今週はまた気温が落ちた沖縄。昨日は最高気温14度、最低気温11度で沖縄としてはかなり寒かったです。今日も最低気温は11度ですが、最高気温は17度まで上がりました。
さらには晴れているので、昨日よりはだいぶ温かく感じます。明日以降も少しずつ気温が上がり、温かくなっていくようです。今度こそ、これ以上は寒くならないと思っていますが、どうでしょう。
さて、気が付けば2月も残り3日で終わり。来週は「ひな祭り」がやってくるため、その行事用お菓子である
「桜もち」と
「ひしもち」を準備しているところです。3月1日から店頭販売を予定していますので、お楽しみに。
今回は「ひな祭り」についてのお話です。
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「ひな祭り」は中国から伝わった「みそぎ」の風習に由来します。日本の貴族たちは「川に入ってみそぎをする」のを嫌い、木や藁を人の形にした「人形(ひとがた)」を身代わりにしました。
⇒【ひな祭り①】
女の子をお祝いする行事へ
自分の身代わりにみそぎをしてくれる「人形(ひとがた)」、女の子のおままごとで使われる人形(にんぎょう)「雛(ひいな)」、赤ん坊の代わりに悪い物を吸い寄せる「天児(あまがつ)」や「這子(ほうこ)」。
これらが融合し、現在の雛人形へ進化します。「雛(ひいな)」や「天児(あまがつ)」が登場するのは平安時代であり、当時は「ひな祭り」が「女の子をお祝いする日」ではありませんでした。
平安時代、鎌倉時代、室町時代… さらに時代が進み、全国にいる強力な戦国武将達が派遣を争う戦国時代がやってきます。そして徳川家康が開いた江戸幕府が安定した長期政権を樹立する江戸時代に突入します。
「みそぎ」という厄払いの行事だった「ひな祭り」の日にお祝いをするようになったのは、この江戸時代から。大坂の陣が終わってしばらく、戦乱の世が落ち着いてきた1629年、京都の御所で盛大な「ひな祭り」が行われたという記録が残っています。
やがて大奥でも「ひな祭り」が行われるようになり、それはさらに下の位の者へと広がっていきました。江戸中期ごろからは、一般庶民の間でも「ひな祭り」が行われるようになっています。
「ひな壇に雛人形を飾る」ようになったのも、江戸時代から。当初は女の子に限らず、男の子もお祝いし、ひな壇には「菅原道真」の人形なども飾られました。
江戸幕府が以下のように五節句を定め、その日を公式な休日としました。
1月7日の人日の節句(七草の節句)
3月3日の上巳の節句(桃の節句)
5月5日の端午の節句(菖蒲の節句)
7月7日の七夕の節句(星まつり)
9月9日の重陽の節句(菊の節句)
公式に五節句が定められて以降は「上巳の節句では女の子をお祝い」し、「端午の節句では男の子をお祝い」する日として、世の中に広まっていきました。この五節句は明治6年の改暦で廃止されるまで続いています。
雛人形の進化
江戸幕府が公式に五節句を定めて以降、「女の子をお祝いする日」となった3月3日。時代が進むごとに大きな行事になっていきます。電子機器のない時代、女の子が手にする玩具といえば、お人形やままごとのための小道具が主でした。
3月3日になると、雛人形や雛道具を売る「雛市」と呼ばれる即席店が現れ、大変な賑わいを見せるようになります。雛人形や雛道具もまた、時代が進むたびに派手になっていきます。
江戸幕府は財政が苦しくなると、質素倹約を奨励し派手で豪華なものを取り締まる「奢侈(しゃし)禁止令」という御触(おふ)れをたびたび出しています。その取り締まりの対象に、豪華な雛人形や派手な雛道具なども含まれました。
特に寛政の改革を行った松平定信は文化・風俗の取り締まりを強化し、「8寸以上の人形を作ってはいけない」という細かい指示まで出しています。実際に幕府は「雛市」を抜き打ちで検査する事もあり、違反を指摘された店は強制閉店などに追い込まれました。
「それならば」と、人形の作り手達は「8寸以上の雛人形」を作らない代わりに、精巧な細工が施された「芥子(けし)雛」という雛人形を作りました。大きさは基準通りにしつつ、その衣装などを豪華にして売り出したのです。
この「芥子雛」は一般庶民に大流行し、将軍家など位の高い上流階級の人達にも人気がありました。当時の幕府からは色々な禁止令が出ていましたが、法令の網の目をかいくぐり、「ひな祭り」は盛り上がりを見せたのです。
現代のようにインターネットもテレビもゲームない時代。今と比べると圧倒的に少ない娯楽の時代に、人々は行事1つ1つを最大限楽しめるよう知恵を振り絞ったのです。その姿勢は我々も見習いたいところですね。
雛道具の意義
雛人形だけでなく、雛道具もまた派手な装飾をしたりと豪華になっていきます。ですが、これらもまた、幕府の禁令対象になってしまうのです。
その禁令に触れないよう、その時代その時代の流行を反映させ、雛道具も精巧になったりと進化を続けました。
雛段には、武家の婚礼に使われる道具を小さくしたものを飾るようになりました。特に大名家では女の子が生まれるとすぐに、婚礼道具をモチーフにした雛道具を準備させました。その製作にはかなりの手間がかけられたようです。
3月3日になると、女の子の居る家庭は友達を家に招き入れ、雛道具を使ってままごと遊びをしました。婚礼道具を模した雛道具は、結婚前の花嫁修業のための道具と位置づけられたのです。
「娘の幸せな将来を願い、ひな祭りは華やかなものにしたい」。親がそんな気持ちを持つのは自然の流れであり、雛道具やひな人形が発展していったのも必然と言えるでしょう。
江戸時代の雛道具やひな人形は、女の子のあこがれと幸せを象徴する大事なアイテムであり、江戸時代の人達はそれらに多くの思いを込めたのです。
現代のひな祭りで「雛道具を婚礼道具と見立てて、それを使ったおままごとは花嫁修業」と思う人はいないと思います。ただ、親の立場としては娘の健やかなる成長や幸せを願ってお祝いする。その気持ちは、今も昔も変わらないでしょう。
来週月曜日が3月3日、「ひな祭り」の日です。女の子がいる家庭は是非、娘の幸せを願って何らかの取り組みをしてください。その際、マルキヨ製菓の
お菓子を食べてもらえれば嬉しいですね。
今回はこの辺で。
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