【旧盆特集④】 盆踊り
2018年08月16日
こんにちは、マルキヨ製菓広報担当の仲宗根です。今日も朝から、蕭々(しょうしょう)と雨が降り続けています。
ここ数日は雨が降っている印象ですが、昨日もカタブイ、いわゆる局所的に降る大雨にやられてびしょ濡れになっちゃいました。
ちょうど外に出た時に、ザーっと降ってくるんですよね。今日は雨に降られませんように……。
さて、来週やってくる旧盆のため、マルキヨ製菓は連日大忙しです。今月はブログでも旧盆特集を組んでお送りしています。
今回は盆踊りについてです。沖縄の場合はそれが【エイサー】にあたりますが、それは前回お話ししました。
それでは、盆踊りについて、過去ブログより加筆修正してお送りいたします。
~~~~~過去ブログより~~~~~~
「旧盆」の風物詩の1つと言えば「エイサー」ですが、全国的に「お盆」と言えば「盆踊り」でしょう。
まずは「盆踊り」について。その起源は「踊り念仏」と呼ばれるものです。仏教信仰の1つである「念仏を唱える」と、芸能の「皆で踊る」が結びついたもので、鎌倉時代に「一遍(いっぺん)」らが全国を旅しながら広めたものと伝わります。
太鼓などの楽器を打ちたて、踊りながら念仏を唱える「踊り念仏」。「念仏を唱えることで救済される」喜びを激しい踊りで表現し、それが庶民の間でブームとなり広がっていきます。
貴族も庶民も全てを忘れ、トランス状態になり、念仏を唱えながらひたすら踊り続けました。やがて時が流れると、宗教面よりも芸能面の方が色濃く残っていき、派手な衣装や道具、音楽などがバラエティ豊かになっていきます。
宗教色が強い頃は「念仏を唱える」事が中心で、「踊り念仏」と言います。芸能面が強くなるとメインは「踊り」で、これを「念仏踊り」と言うようになります。そのシフトが徐々に行われていったのが室町時代です。
この「念仏踊り」は当初、決まった時期に行われたわけではありませんでした。「念仏踊り」の中でも「夏のお盆の時期に踊る念仏踊り」が、初期の「盆踊り」の起源となります。
「盆踊り」として独立した地位を築くのは応仁の乱の後、16世紀にかけてです。全国の有力大名達が覇権を争った群雄割拠の戦国時代。舞台は京の都、その踊り手は経済力のある町衆でした。
今のような「一般市民参加の踊り」ではなく、「セレブのダンス・パーティ」というイメージになります。それが武士、貴族、やがては一般民衆にも広がっていき、そうなる頃には「宗教色」はだいぶ薄れていきました。
やがて戦国の世も終わりを告げ、天下太平の江戸時代が訪れます。
その頃には、村落共同体の形が出来上がり、今に伝えられる各地域での盆踊りの原型が生まれていく事になります。浴衣を身につけて踊り、「盆踊り」という名称も定着していったのがこの時代。
もともとは旧暦の7月15日に行われていた盆踊り。という事は、満月の下で華やかに踊っていたという事です。
ちなみに「盆」の語源は「盂蘭盆会(うらぼんえ)」からきており、さらにその意味は「逆さづり」だという話をやりました。という事は「盆踊り」というのは「逆さづり踊り」という事になりますね。笑
~~~~~以上、過去ブログより~~~~~~
日本三大盆踊りというのをご存じでしょうか?
秋田県:西馬音内の盆踊り(にしもないのぼんおどり)
岐阜県:郡上踊り(ぐじょうおどり)
徳島県:阿波踊り(あわおどり)
が、それにあたります。「阿波踊り」は、最近ワイドショーで取り上げられていましたね。
各地域によって、それぞれ伝統の踊りがあります。沖縄の【エイサー】しかりです。
本土は新暦の8月15日で盆を終えるので、今は一息ついた頃でしょう。旧暦で盆を行う沖縄はこれからが準備本番です。
マルキヨ製菓はお供え用お菓子をびっくりするぐらいたくさん作っています。おそらく皆さんの想像をはるかに超える量のお菓子を作っていると思います。
例えばコンペンは週に1400個ほど作るのが平常ですが、旧盆の時は2万6000個も作ります。
かるかんやおもちなども、皆さんの想像を超える量をスタッフ一同フル回転で作っております。
今週来週は体力勝負です。皆さんがいい旧盆が迎えられるよう、気合いを入れて頑張ります!
今回はこの辺で。
Dee沖縄さんによる「マルキヨ製菓工場見学」の記事はこちらです。
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