玉陵(たまうどぅん)でシーミー
2018年04月26日
こんにちは、マルキヨ製菓広報担当の仲宗根です。昨日今日と晴れていい天気。4月はさすがに忙しく、気がつけば5日後には5月になっている状況です。
さて、4月はシーミー月間という事で、毎週木曜日はシーミーに関するお話しをしてきました。今回はシーミー関連最後の話題となります。
4月5日にシーミー入りをした沖縄ですが、その日、尚家(しょうけ)の子孫によるシーミーが玉陵(たまうどぅん)で行われました。
玉陵とは、琉球王朝の歴代国王が葬られている場所で、首里城から歩いてすぐの所にあります。
実は私もつい最近、そこに行ってきたばかり。
ちょうど北海道の知人が沖縄観光に来ていて、首里城や玉陵を案内していたんですね。
ご存じの通り、シーミーはご先祖様の墓参りをする行事。実は尚家の子孫によるシーミーは長らく中断されていました。今年、48年ぶりに執り行われたという事で、大きな話題となりました。
シーミーを取り仕切ったのは第2尚氏の23代当主で、琉球国最後の王・尚泰王(しょうたいおう)の玄孫(やしゃご)にあたる尚衛(しょう・まもる)さんです。
この衛さんの父の代までは毎年行われていた、尚家のシーミー。しかし1970年を最後に、尚氏によるシーミーは行われなくなりました。
歴史書「球陽」によれば、1768年に尚穆(しょうぼく)王が玉陵(たまうどぅん)で初めてシーミーを行ったという記録があります。
先週のブログ参照⇒【シーミーは中国由来】
その後、廃藩置県による琉球王国滅亡(1879年)や沖縄戦により、本家によるシーミーの記録の多くが失われてしまいました。
衛さん自身がずっと県外で過ごしているという事もあり、玉陵でのシーミーは約40年以上間行われることがありませんでした。
その復活の際に重要な役割を担ったのが、数少ない王家によるシーミーの記録です。その記録は首里ではなく伊是名島にあったのです。
伊是名島と言えば金丸(かなまる)、いわゆる第2尚氏の始祖にあたる尚圓(しょうえん)王の生誕地です。1415年、百姓の子として生まれた金丸は、後に尚家第1王党による混乱を収め、第2尚氏の初代国王へ大抜擢される事になります。
記録によれば、琉球王国が滅亡する少し前の1870年、国王の命令により伊是名の玉陵でもシーミーが行われるようになりました。
そこで伊是名島の役人達は、「何をお供えし、どのような手順でシーミーを行うのか?」のマニュアルを作成しました。本家首里によるシーミーに準じているため、その内容は非常に細かいものでした。
このマニュアルが残っていて、それが今年、首里の玉陵でシーミーを行う際の大きな参考となりました。まさに「復活のマニュアル」だったわけですね。
ニュースでは大々的に執り行われた尚家のシーミーの映像を放送していました。来年も行われるのか、注視しようと思います。
さて、いよいよゴールデンウィークに突入です。ゴールデンウィークが明けると、シーミーもほぼ終了となるため、マルキヨ製菓はラストスパートで行事用お菓子をたくさん作っていますよ。
紅白かるかん、コンペン、マドレーヌ、チョコマドレーヌ、紅いもしっとりまんじゅう、紅芋パイ、蒸しまんじゅう、レモンケーキ、焼きまんじゅう、おもち各種。
そして、菓子セット。県内各スーパーにて絶賛販売中ですので、シーミーがまだの方、シーミーとは別に平常のお菓子として気になる方は是非ともチェックしてみてください。
ゴールデンウィークも忙しいですが、沖縄の行事を支えるという使命のもと、頑張っていきたいと思います!
ゴールデンウィークに休める人も、仕事の人も、まずは頑張って今週を乗り切りましょう!
今回はこの辺で。
平日は毎日更新。Facebookもよろしくお願いします。
ブログランキング参加中です。よかったらポチッとお願いします。
↓
商品取り扱い店舗
- ・タウンプラザかねひで
- ・イオン琉球㈱
- ・リウボウストアー
- ・㈱丸大
- ・㈱サンエー
- ・ユニオン
- ・コープおきなわ
- ・JAおきなわAコープ
- ・野原食堂(宮古島)
- (順位不同)
※工場でもご購入可能です。毎日製造する商品は異なりますので、事前にお問合わせください。