那覇四大祭り?
2018年03月26日
こんにちは、マルキヨ製菓広報担当の仲宗根です。昼は暑く、夜は涼しい日々が続いている沖縄です。さて、3月最後の週。1週間後は4月ということで、月末+年度末の雑務に追われております。
さて、昨日ですが、那覇市辻にて「辻ジュリ馬祭り」なる行事が開催され、ローカルニュースでも紹介されていました。
かつては「那覇ハーリー」「那覇大綱引き」と並び、「那覇三大祭」と言われた「ジュリ馬祭り」。しかし、ある時期にその行事は姿を消し、復活を遂げたという経歴があります。
今回のブログでは、そこら辺のお話をしていきましょう。
まず、旧暦の1月20日「ハチカソーグヮチ(二十日正月)」について。
この行事は、「旧正月」や「ヒヌカンウンケー」、「ジュウルクニチー」など、年明けの行事が一段落する日であり、仏壇やヒヌカン(火之神)にお供えをし、正月の飾り物などを片付けます。
そしてこの日、那覇市の辻(つじ)で「ジュリ馬祭り」という行事が行われていました。
「ジュリ」とは「遊女」の事。かつて辻(つじ)にあった遊郭から選抜されたジュリ達がキレイな紅型(びんがた)の着物で着飾り、五穀豊穣・商売繁盛を祈願して行列を作り、道を練り歩きました。
全盛期には3000人ものジュリ達が綺麗に着飾り、華麗に踊り、その行列はなんと15kmも続いたそうです。
この行列でもっとも目を引くのが、女性達の綺麗な着物の前に掲げられる「馬の飾り物」です。これがいわゆる「ジュリ馬」と呼ばれるもので、祭りの名称にもなっている重要なアイテムとなります。
何故、「馬」なのか? それについては次回お話しする予定です。
ちなみにこの行事が始まった年代は定かではありませんが、ひょっとしたら300年以上の歴史があるかもしれません。
琉球王府は1672年に、辻の遊郭を公設しています。一説によると、最初のジュリは当時の国王の娘であり、その娘がジュリ馬行列最初の開催に関わっていると言われています。
という事は、「ジュリ馬祭り」の歴史は300年以上あるかもしれない…。ただ、これとは少し違う説もあるので、正確な始まりの年代は不明のようです。
さて、そんな歴史ある行事ですが、この祭りの中心となっているのが「遊女」であり、「公娼」を助長する… という事で、行事開催に反発する団体がいたため、「ジュリ馬祭り」は1988年を最後に、行われなくなりました。
しかし10数年の時が過ぎ、2000年。「歴史は歴史」という事で、主催者が行事の復活を決定。かつて程の盛大さはありませんが、そこから毎年「ジュリ馬祭り」が行われるようになりました。
年を重ねるにつれ、「ジュリ馬祭り」の規模も大きくなっています。舞台の上で華麗な舞を踊ったり、メインの「ジュリ馬行列」も参加する人も増えているようです。
また、昨日見たニュースでは、見学する人も復活当初に比べだいぶ増えているように感じました。数10年すれば、全盛時並の賑わいを見せる大行列となるかもしれません。
かつて「那覇三大祭り」の1つだった「ジュリ馬祭り」。現在、「那覇三大祭」で検索すると「那覇大綱挽」「那覇ハーリー」「琉球王朝祭(首里城祭)」と出てきます。
数年後には「那覇四大祭り」と呼ばれているかもしれませんね。
次回ブログでは、「ジュリ馬行列で何故、馬のアイテムが使われるのか?」や、この祭りにまつわる伝説のお話をしたいと思います。
さて、もうすぐやってくるシーミーに向け、今週もまた忙しいマルキヨ製菓。シーミーが終われば、少しゆっくり出来る時期になりますので、とにかく目の前の行事に向けて頑張りたいと思います!
年度末や年始に向け、慌ただしくしている人も多いでしょう。新生活に向けて準備をしている人もいるでしょう。
何事も健康第一。休めるときは休み、頑張る時は頑張る。時には「なかゆくい」(ひと休み)して、マルキヨ製菓のお菓子などつまんでみてはいかがでしょう?
今回はこの辺で。
平日は毎日更新。Facebookもよろしくお願いします。
ブログランキング参加中です。よかったらポチッとお願いします。
↓
商品取り扱い店舗
- ・タウンプラザかねひで
- ・イオン琉球㈱
- ・リウボウストアー
- ・㈱丸大
- ・㈱サンエー
- ・ユニオン
- ・コープおきなわ
- ・JAおきなわAコープ
- ・野原食堂(宮古島)
- (順位不同)
※工場でもご購入可能です。毎日製造する商品は異なりますので、事前にお問合わせください。