【旧暦7月13~15日】 旧盆② 盆踊りとエイサー
2015年08月20日
こんにちは、ブログ担当の仲宗根です。今日は非常にいい天気です。お墓掃除するのに、最適ですね。そう、今日は旧暦の7月7日で旧の七夕にあたります。旧の七夕についてはこちら。
→ 【 【旧暦7月7日】 七夕 】
そして旧の七夕の1週間後にやってくるのが、旧盆ですね。前回は盆の起源についてお話ししました。
→ 【 【旧暦7月13~15日】 旧盆① 盆の起源 】
今回は「盆踊り」、そして沖縄の盆に欠かせない「エイサー」についてのお話です。
【盆踊り】の起源は「踊り念仏」と呼ばれるものだと言われています。仏教信仰の1つである「念仏を唱える」と、芸能の「皆で踊る」が結びついたものであり、鎌倉時代に「一遍(いっぺん)」らが全国を旅しながら広めたものです。
太鼓などの楽器を打ちたて、踊りながら念仏を唱える「踊り念仏」。「念仏を唱えることで救済される」喜びを激しい踊りで表現し、それが庶民の間でブームとなり広がっていきました。貴族も庶民も全てを忘れ、いわゆるちょっとしたトランス状態になり、念仏を唱えながらひたすら踊りました。
やがて時が流れると、宗教面よりも芸能面の方が色濃く残っていき、派手な衣装や道具、音楽などがバラエティ豊かになっていきます。 宗教色が強い時は、「念仏を唱える」事が中心なので「踊り念仏」と言いますが、芸能面が強くなるとメインは「踊り」という事になり、これを「念仏踊り」と言います。そのシフトが徐々に行われていったのが室町時代です。
この「念仏踊り」は決まった時期に行われるわけではなく、「念仏踊り」の中でも「夏のお盆の時期に踊る念仏踊り」が初期の「盆踊り」の起源になるそうです。
「盆踊り」として独立した地位を築くのは応仁の乱後から16世紀にかけて、まさに戦国時代。舞台は京の都、その踊り手は経済力のある町衆でした。ですから、今のような「一般市民参加の踊り」ではなく、「セレブのダンス・パーティ」というイメージになります。それが武士、貴族、やがては一般民衆にも広がっていく事になり、その頃には「宗教色」はだいぶ薄れていったようです。
戦国の世も終わりを告げ江戸時代が訪れると、村落共同体の形が出来上がり、今に伝えられる各地域での盆踊りの原型が生まれていく事になります。浴衣を身につけて踊り、「盆踊り」という名称も定着していったのがこの時代です。
もともとは旧暦の7月15日に行われていた盆踊り。という事は、満月の下で華やかに踊っていたという事です。ちなみに「盆」の語源は「盂蘭盆会(うらぼんえ)」からきており、さらにその意味は「逆さづり」だという話を前回やりました。という事は「盆踊り」というのは「逆さづり踊り」という事になりますね。笑
さて、沖縄では「盆踊り」よりもメジャーな踊りがあります。「エイサー」です! 沖縄本島と奄美を含む周辺地域で行われる盆踊りの事ですが、各地域の青年会によってその踊りの型は様々。旧暦の7月15日、ウークイで先祖を送りだした後、三線(サンシン・三味線の事)や太鼓(パーランクー等)を持ったニーセーター(青年たち)が行列をなし、各家々を回り練り歩きます(道ジュネー)。
家々では祖先の霊をお送りし、家族の繁栄・無病息災等を祈ってジウテー(地謡・唄い手やサンシン弾きの事)の唄に合わせて踊ります。沖縄の夏を彩る風物詩であり、今ではお盆に限らずいろんな場面で年中披露される踊りです。小中学校の運動会や学芸発表会などでは、必ずといっていい程披露される踊りですから、沖縄県民なら「1度は踊った事がある」と言われるエイサーです。
その「エイサー」の起源についてですが、確実な事はわかっていないそうで、いくつかの説があります。
まずは「エイサー」という呼び名。これは大きく2つの説が唱えられています。1つは念仏歌の中での囃(はや)し言葉という説。エイサーも元々は念仏踊りですから、浄土宗系の念仏歌に挟まれる囃(はや)し言葉の一つ「エイサー、エイサー、ヒヤルガエイサー」から「エイサー」が来たと言われています。「エイサー、エイサー、ヒヤルガエイサー」。これは現代エイサーでも歌われますが、元々は念仏歌の囃し言葉の1つだったんですね。
もう1つ、16世紀以前、琉球に存在した集団で踊る「ゑさおもろ(エサオモロ)」という言葉から「エイサー」という単語が生まれたという説があります。その集団の踊りこそがエイサーの1番最初の起源だとする説がありまして(確定した説ではありません)、この「ゑさおもろ」は、琉球王国の資料「おもろさうし」に出てくる言葉です。
次に「エイサー」の「踊り」の起源ですが、こちらもいくつか説があります。先に述べた「ゑさおもろ(エサオモロ)」の踊りも、1つの起源とも言われていますが、沖縄本土に広まっていったという点では次の説が有力とされています。
1603年、現在の福島県いわき市出身の袋中上人(たいちゅうしょうにん)という浄土宗の僧が、明(今の中国)を目指す途中で琉球に辿り着きました。念仏を広めるため、彼の出身である東北地方のジャンガラ踊りに経文(きょうもん)をつけ、念仏踊りとして広めていったそうです。その経文の1つが親への孝行を解く「継母念仏(ママウヤニンブチ)」であり、エイサーの起源とも言われています。
首里王府が著した「琉球国由来記」によれば、「袋中上人(たいちゅうしょうにん)が仏教文句を俗にやわらげ、初めて那覇の人々に伝える。これが念仏の始め」という記述があるそうで、袋中上人(たいちゅうしょうにん)こそがエイサー踊りの始祖だという風に言われています。
こちらも「盆踊り」同様、最初は王家や貴族等身分の高い人達を中心に広まります。18世紀頃は、首里士族の屋敷で念仏を唱える人を招いて先祖供養を行う風習がありました。その頃は、「門付歌(かどづけうた)」と「念仏歌」と呼ばれる歌で踊っていて、今のエイサーのようなハデさはありませんでした。
やがて沖縄独特の音楽などとも融合し、士族から一般民衆の間にゆっくりとそれらの風習が広がっていくことになります。
エイサーといえば独特な白塗りメイクと、滑稽な踊りでエイサーを盛り上げる「チョンダラー」が、ひときわ目立ちますよね。エイサーを琉球の人達へ実際伝えたのが、実はこのチョンダラー(京太郎)なんです。袋中上人(たいちゅうしょうにん)が「エイサー広報部」のTOPなら、チョンダラーは現場へ赴く営業マンって感じでしょう。笑
「 京都からやってきた芸能集団の太郎」という事で、京太郎(チョンダラー)と言うのですが、その正確な由来は不明だとか? そういうミステリアスな部分も、エイサーを盛り上げる要因の1つかも知れませんね。
というわけで、今回は「盆踊り」と「エイサー」のお話でした。
「旧盆」「旧正月」「清明(シーミー)」といえば、沖縄の三大行事。マルキヨ製菓では、旧盆でお供えするお菓子の製造で、毎日フル回転状態。1年で最も忙しい時期であります。
その写真をチラリと紹介して、今回はこの辺で。
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