旧盆③
2024年07月16日
こんにちは、マルキヨ製菓広報担当の仲宗根です。7月も折り返しましたね。そして、パリオリンピックまであと10日となりました。3年前の東京オリンピックも盛り上がったので、今回もどんな選手がどんなドラマを見せてくれるのか楽しみです。
マルキヨ製菓はこの暑さと戦いながら、日々忙しくしています。なんといっても来月にはとても大きな行事「旧盆」がやってきますからね。というわけで、今回も旧盆に関するお話をしていきます。
バックナンバー
釈迦の弟子の1人、目連は飢えと渇きで苦しむ餓鬼道へ墜ちた母親を救うために奮闘していました。釈迦のアドバイスにしたがい、多くの人にも施しを与える事で、母親を苦しみから救うことが出来ました。
⇒【旧盆①】
「盆」という行事が中国から日本に伝わったのは、今から1400年以上も前。身分の高い人の間で行われていたこの行事が、一般庶民にまで広がるのは江戸時代になってから。「ろうそく」が安価に購入できるようになった事がきっかけです。
⇒【旧盆②】
夏の風物詩
夏の風物詩と言えば「花火」とか「スイカ」などを思い浮かべる人も多いでしょう。沖縄らしいものといえば「エイサー」でしょうか。沖縄独特の踊り「エイサー」は年中踊るシーンを見ますが、特に夏場は活発に踊っている人達が多いです。
先日、真嘉比の公園近くを車で走行していましたが、エイサーの練習をしている人達を見ました。「エイサー」と言えば旧盆の最終日に踊る事も多く、道ジュネーといってエイサーを踊りながら道を練り歩くシーンも、沖縄の夏の風物詩といえるでしょう。
旧盆まで1ヶ月となったこの時期、沖縄県内にある青年会ではエイサーの練習を頑張っている事でしょう。このダイナミックで独特な踊り「エイサー」と深く関わる人物が「袋中上人(たいちゅうしょうにん)」です。
袋中上人
「琉球国由来記」は1713年、琉球王府によって編纂された現存する貴重な史料です。この中に「袋中上人が仏教文句を俗にやわらげ、初めて那覇の人々に伝える。これが念仏の始め」という記述があります。
この袋中上人が「初めて那覇の人々に伝え」たもの、それが初期の「エイサー」となるものです。彼は琉球国由来記にその名がしっかり刻まれている事から「エイサーの祖」と呼ばれる事もあります。
袋中上人は1552年、福島県いわき市に生まれました。7歳の時、おじが住職を務める寺に入り僧侶となるための勉強を開始。14歳になると出家し、25歳の時には江戸に訪れ極楽浄土の概念を学びます。
勉強熱心な彼は52歳の時、当時の中国である明へ留学を試みます。そのためにまず琉球を訪れ、そこから明行きの船に乗ろうとしました。しかし明への入国許可が降りず、許可が出るまで琉球の地にとどまることになりました。
結局、3年経っても許可が降りなかったため、袋中上人は明へ行く事あきらめました。本土へ戻った袋中上人は京都や奈良に滞在し、京都の壇王法林寺という寺を拠点として念仏を唱える事を広める活動に従事しました。
76歳の時に西寿寺(さいじゅじ)を建立するなど、年を取っても精力的に活動。88歳に死去するまで、その生涯を念仏の布教に努めました。
ちなみに「袋中(たいちゅう)」とは、「きりを袋の中に入れていても、いつかは袋を破って外に現れる。真に優れた人物も、今は何かに隠されて見えなくても、やがてその徳によって世に現れる」という意味です。
彼の生涯の中で、約3年間琉球に滞在した時期がありました。その間に、彼は初期のエイサーを琉球に広める事になりのです。
エイサーのルーツは福島にあり
袋中上人の出身である福島県いわき市には、無形民俗文化財に指定されている「じゃんがら念仏踊り」という独特の踊りがあります。毎年8月13~15日のお盆の間、いわき市を中心に亡くなった方を供養するために踊られるもので、地域伝統芸能の1つです。
鉦(かね)や太鼓を打ち鳴らしながら踊る姿は、エイサーとの共通点を感じられます。沖縄にエイサーを踊る青年会や各種団体が多数いるように、いわき市ではこの「じゃんがら念仏踊り」を踊る団体が100以上もあります。
袋中上人は浄土念仏の布教に生涯を捧げた人物ですが、彼は琉球滞在時、経文(きょうもん)を「じゃんがら念仏踊り」にのせて唱える事を広めたのです。経文とは、お経に出てくる文章や言い回しの事です。
「経文」を「じゃんがら念仏踊り」にのせて唱える。これこそが、琉球の「エイサー」の始まりであり、そのルーツは福島県にあるというわけです。
この「経文」+「じゃんがら念仏踊り」は、まず琉球の王族や士族など、身分の高い人たちを中心に広まりました。一般庶民に広がっていくのは1700年以降。念仏を唱えて先祖供養する風習として、琉球各地に広まっていきました。
袋中上人は琉球出身ではないし、一介の僧に過ぎません。彼は何故、琉球でエイサーを広められたのでしょうか? 実は袋中上人という人物、3年の琉球滞在で多くの事を成し遂げている、ものすごく徳の高い僧だったのです。
袋中上人が琉球を訪れた当時の琉球国王は「尚寧王(しょうねいおう)」。袋中上人は尚寧王に謁見した際、難しい仏教の教えをわかりやすく伝えました。尚寧王は彼の教えに深く感銘を受けたと伝わります。
袋中上人は産業振興や子どもの教育発展にも尽力するなど、明への入国許可が降りると信じて積極的に活動していました。惜しみなく彼の知見を琉球の人に授け、どんな身分の人に対しても誠実に接し、多くの琉球国民に慕われました。
袋中上人と言えば「琉球でエイサーを広めた人」という認識の人が多いと思いますが、それ以外でも深く琉球に関わっていたのです。そんな素晴らしい人物だったので、明へ行く希望を叶えて欲しかったですね。
袋中上人が琉球を訪れたのは1603年。琉球滞在はわずか3年ですが、彼がふるさとの踊りに経文をつけるアレンジを施して広めたエイサーは、400年過ぎた令和の今でも踊り続けられているのです。
旧盆まで約1ヶ月
連日、最高気温34~36度となっている沖縄。熱中症指数は「危険」と「極めて危険」が出続けています。しっかり水分をとって、熱中症にかからないよう細心の注意をはらいましょう。
旧盆も約1ヶ月後に迫ってきました。お菓子を作る工場内は熱気が凄いです。私はクーラーのきく部屋で事務的な仕事がメインなので、暑さに負けずお菓子作りを頑張るスタッフ達には頭が下がるばかりです。
マルキヨ製菓がほこるお菓子職人が作るお菓子たち。来月の旧盆では是非、これらのお菓子をご先祖様にお供えして下さい。もちろん3時のおやつや、お土産お菓子としても超オススメのお菓子たち。
マルキヨ製菓のお菓子は、毎日沖縄県内各スーパーにて販売中です。店頭で見かけたら是非、お買い求め下さい!
今回はこの辺で。
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