スタッフブログ

旧盆⑤

2024年07月26日

こんにちは、マルキヨ製菓広報担当の仲宗根です。今週は台風の影響で雨や風が強い時もあり、私は傘をやられてしまいました。今日も雨が降ったりやんだりの金曜日となっています。

 

気がつけば7月も残り5日。月末までに片付けなければならない仕事も多く、毎日忙しくしています。とりあえずは8月にやってくる大きな行事「旧盆」に対応すべく、スタッフ一同頑張っているところです。

 

というわけで、今回も「お盆」に関するお話を進めていきたいと思います。

 

バックナンバー

釈迦の弟子の1人、目連は飢えと渇きで苦しむ餓鬼道へ墜ちた母親を救うために奮闘していました。釈迦のアドバイスにしたがい、多くの人にも施しを与える事で、母親を苦しみから救うことが出来ました。

⇒【旧盆①

 

「盆」という行事は今から1400年以上も前、中国から日本に伝わりました。身分の高い人の間で行われていたこの行事が、一般庶民にまで広がるのは江戸時代になってからです。

⇒【旧盆②

 

エイサーの創始者として知られる袋中上人(たいちゅうしょうにん)。彼は福島県出身ですが、明へ渡るために琉球に訪れました。その際、琉球発展のため多方面で活動しました。

⇒【旧盆③

 

「エイサー」という言葉は、ある念仏歌謡の歌詞に出てくる囃子詞(はやしことば)「エイサー、エイサー、ヒヤルガエイサー」から来ています。

⇒【旧盆④

 

踊り念仏

沖縄で盆の時期に踊る踊りと言えば「エイサー」ですが、本土の方では「盆踊り」になります。個人的に「エイサー」はダイナミックに踊り、「盆踊り」はやや静かに踊るイメージがあります。

 

エイサーの場合は踊り手が琉装をまとい、軽快な曲にのせ小太鼓(「パーランクー」と呼ばれる)や大太鼓を打ち鳴らしながら飛んだりはねたりします。それに対し「盆踊り」は浴衣を着て何も持たず、あるいは団扇などを手にして、ゆったりと踊ったりします。

 

「エイサー」は縦横整列したりクロスしたり、曲に合わせてフォーメーションがありますが、「盆踊り」はやぐらを中心に回りながら踊ったり、ステージを前にラジオ体操のように皆が広がって踊ったりします。

 

ゆったり踊るイメージの盆踊りですが、元をたどるとその踊りはエイサー顔負けの激しい踊りだったというお話をしましょう。

 

「盆踊り」の起源は平安時代の「踊り念仏」にあります。「踊り念仏」とは、踊りながら太鼓や鉦(かね)を打ち鳴らして念仏を唱える事で、その起源は平安時代の「空也(くうや)」という僧が始めたと言われています。

 

空也は、今から1000年以上も前の西暦900年代(平安時代)に活躍した人物です。「南無阿弥陀仏」とひたすら唱えながら諸国を巡り、橋を架けたり道を開いたりなどの社会事業を行いました。

 

ただ、空也に関しては彼に関する資料が乏しい事もあり、「踊り念仏」を創始したという確かな記録はないそうです。しかし、この「踊り念仏」を日本に広めたとされる人物はハッキリとわかっています。鎌倉時代の僧「一遍(いっぺん)」です。

 

時宗の開祖である一遍は、1279年に信濃国を訪れた際、尊敬する空也に倣って踊り念仏を始めたと言われています。そして、各地に赴いて踊り念仏を披露。その際、周りの人達に「念仏札」というものを配り、「踊り念仏」を広めていきました。

 

激しく念仏を唱え、太鼓を打ち鳴らし、一心不乱に踊る。それで集団的なトランス状態、いわゆるある種のゾーンに陥ると言われています。テンションを上げまくって、独特な三昧(ざんまい)の境地に達する事で、この世の苦しみから救済されるというわけです。

 

一遍は「踊り念仏」の事を「念仏が阿弥陀の教えと聞くだけで踊りたくなるうれしさ」と表現しています。その喜びを激しい踊りで表現する、それが「踊り念仏」の特徴です。

 

「踊り念仏」は「念仏を唱える」事が最重要であり、踊る事は「念仏を唱える」事に付属するものでした。それゆえ、当然宗教面が全面に押し出されています。やがて時代が過ぎていくと、「念仏を唱える」と「踊る」の立場が逆転していきます。

 

「念仏を唱える」という宗教面は徐々に薄れていき、「踊る」という芸能面に重きが置かれるようになっていきます。衣装がきらびやかになったり、太鼓を派手に打ち鳴らしたり、念仏も曲に合わせるように唱えるという形で変遷していきます。

 

「踊り念仏」はいつからか、「念仏を唱えること」が主体でなく「踊る事」が主体のものになっていったのです。

 

念仏踊り

「念仏を唱えること」がメインの時に「踊り念仏」と呼ばれていたものが、「踊ること」が主体になると「念仏踊り」と言われるようになりました。

 

もともと「踊り念仏」も「念仏踊り」も、特定の時期に踊るものではありません。夏とか盆の時期に踊る事もあれば、盆とは関係のない正月に踊る事もありました。

 

やがて、盆の時期に踊る「念仏踊り」は「盂蘭盆会(うらぼんえ)」と結びつき、「死者を供養するための踊り」として定着していきます。この「死者を供養するための踊り」が「盆踊り」の起源だと言われています。

 

戦国時代になると、「盆に踊る念仏踊り」が都の貴族や士族らを中心に広まっていきました。そして、一般庶民に広まっていきます。この「スタートは貴族・士族、後に庶民に広まる」は、よくあるパターンですね。

 

一般庶民に広まる頃には、宗教的側面はかなり薄くなっていました。戦国時代が終わり江戸時代になると、盆の時期になると地域単位で踊るようになります。その踊り方は地域によってバラエティ豊かに発展していき、今に至ります。

 

余談ですが江戸時代の「盆踊り」は、男女が出会うきっかけの場でもあったそうです。当時は男女混合参加のイベントが少なかったそうで、盆踊りをきっかけに成立するカップルも多くいたとか。

 

こうして「一般民衆」が「盆の時期」に「地域の人々と踊る」事が定着していくと、それが「盆踊り」の形となり、「盆踊り」という言葉自体も広まっていきました。

 

スタートは1000年以上前の「踊り念仏」。時代の流れと共にその目的や形態を変え「念仏踊り」となり、現代では「盆踊り」という形で受け継がれているわけです。

 

「月が出た出た」でおなじみの「炭坑節」や「東京音頭」などが盆踊り曲の定番かなと思います。今はアニメをモチーフとしたものや、ボンジョビの曲に乗せて踊る盆踊りもあります。

 

ダイナミックな踊りの「エイサー」、ゆったり踊る「盆踊り」。どちらも「実際に踊って楽しい」し、「人が踊るのを見るだけでも楽しい」と思います。沖縄だとエイサーがメインですが、盆踊りのイベントがあれば参加してみるのもいいですね。

 

旧盆まで1ヶ月を切りました。マルキヨ製菓は連日

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お供え用のお菓子を準備していますので、今年の旧盆は是非、マルキヨ製菓のお菓子もお供え下さい。暑さに負けず、台風にも負けず、沖縄の行事を支えるマルキヨ製菓をよろしくお願いします。

 

今回はこの辺で。

 

平日は毎日更新。Facebookもよろしくお願いします。

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