謝花昇② (県民の自由を求め、戦った男)
2015年12月14日
こんにちは、ブログ担当の仲宗根です。今日の沖縄も暑い! クーラーがないとやってられない程、暑いです! この時期にしては、例年よりも気温が高い気がしますが、これも地球温暖化の影響でしょうか?
さて、前回は沖縄の自由民権を求めて立ち上がった男・謝花昇について、その簡単な生い立ちから、奈良原繁県知事の理不尽な振る舞いに対抗する直前のお話しをしました。
当時の沖縄県民には参政権がく、自分達のリーダーを自ら選ぶ事が出来ませんでした。彼はそんな状況の中、どのような行動に出たのでしょうか?
まず、県民から搾取した土地を鹿児島の商人達に開墾させようとした奈良原県知事に対抗し、その政策の担当でもあった謝花昇は、鹿児島人による開墾願いをはねつけました。すると今度は奈良原県知事が謝花昇を担当からはずし、沖縄の土地は鹿児島の商人の手に渡る事になります。
農民達の暮らしをよくする事を考えていた謝花昇は、「特権階級だけが贅沢をし、県民が困窮する現状」を許す事が出来ませんでした。謝花昇は、明治政府に奈良原県知事の不条理な政策を訴える事にしました。
それでも奈良原を辞職を追い込むには至らず、逆に県知事に対する反発を続けるならば、謝花昇自身が県庁を退職せざるをえない状況に追い込まれてしまいます。
結局謝花昇は県庁を退職する道を選び、政治結社「沖縄クラブ」を結成し、参政権運動を展開する事になります。【沖縄時論】という機関誌を発行し、沖縄がどれだけ困窮にあえいでいるのか、そして県民が参政権を持てるようにと、広く訴えました。
さらには奈良原の行ってきた政策の理不尽さも訴え、「奈良原がいる限り、県民が豊かになれる事はない」と主張します。ところが薩摩出身の沖縄県知事奈良原を中心とする権力を持つ側からの激しい弾圧により、【沖縄時論】は3年足らずで廃刊、「沖縄クラブ」も解散に追い込まれました。
最終的に謝花昇は仕事も失い、参政権運動のために費やした自らのお金も使い果たしてしまいます。県知事奈良原との激しい対立のため、沖縄県で仕事を探せる見込みもなく、県外へ出て行く事になりました。
仕事を求めて山口県へ赴く途中の神戸駅にて、謝花昇は突然、気が狂ってしまいます。沖縄に戻って来るも、その7年後の1908年、43歳という若さで世を去る事になります。
謝花昇の存命中に、沖縄県民の参政権獲得は叶う事はありませんでした。志半ばで倒れた謝花昇ですが、彼の死から4年後の1912年、条件付きではありますが、沖縄で初めての衆議院議員選挙が行われる事になります。
本土から遅れる事、実に22年。沖縄県民は沖縄県民として選挙する事が許されたのです。
身分の高い家柄でもなく、貧しい家に生まれた「平民」謝花昇。学で身を立て、優秀な人材として県庁に就職。時の権力者である明治政府から派遣された薩摩出身の県知事・奈良原に戦いを挑んだ男。
職を失っても県民のために戦い続けた男の志(こころざし)や姿勢は、今でも多くの県民の心を捉えています。
というわけで、2回に分けて「謝花昇」のお話しをしてきました。沖縄の人に「好きな琉球の偉人は?」と聞くと、彼の名前もよく出てきます。弱い者の立場で、権力者に戦いを挑み続けた男。どんな弾圧・妨害にあっても、志を貫き通そうとした男。
心にくるものがありますね。私も、彼を見習って、彼の100分の1でも沖縄に貢献できるような仕事がしたいなと思って、頑張りたいと思います。
今回はこの辺で。
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