甘藷先生
2017年12月4日
こんにちは、マルキヨ製菓広報担当の仲宗根です。まだまだ気温は20度以上ある沖縄から、12月最初のブログ更新となります。
今回は「サツマイモ」について、お話ししてみようかなと思います。
みなさんは、甘藷(かんしょ)先生と呼ばれる人物をご存じでしょうか? 青木昆陽(あおきこんよう)という江戸時代中期の学者で、サツマイモを全国に広めた人物です。
甘藷とはサツマイモの事。青木昆陽はサツマイモを広める事で、飢餓に苦しむ多くの人を飢えから救ったので、人々から敬愛を込めて「甘藷先生」と呼ばれています。
もう少し、青木昆陽先生についてお話しします。小さい頃から学問に励み、27歳の時には江戸で塾を開きます。
やがて、TVドラマでも有名な大岡忠相に抜擢、幕府に取り立てられる事になります。そして、暴れん坊将軍こと徳川吉宗より飢饉対策として、甘藷の栽培を命じられます。
もともと甘藷は日本にあったものではないため、青木昆陽はそれを大量に栽培できるよう研究を重ね、見事にそれを普及させる事に成功し、多くの人々を飢えから救う事になりました。
「サツマイモ」というぐらいですから、薩摩、いわゆる鹿児島の芋だと思っている方も多いようです。実際、青木昆陽はサツマイモの苗を鹿児島から取り寄せています。
しかし「サツマイモ」の別名として、「琉球藷(りゅうきゅういも)」というものもあります。
青木昆陽がサツマイモの苗を薩摩(鹿児島)から取り寄せたのが1734年ごろ。その薩摩では1705年ごろに、(甘藷が)琉球から伝わったとされています。
さらにその100年前、琉球では甘藷の栽培が始まっているのです。
1605年、琉球王国時代。野国総官と呼ばれる人物が、明(みん・中国)の福建省から甘藷の苗を持ち帰り、今の嘉手納町で栽培を始めました。
当時は「野国村」と呼ばれたその場所において、航海の関連事業をとりまとめる役職を「総官」と呼んでいました。
なので「野国総官」とは人名ではなく野国村における役職名の事であり、その当時の総官の名前は不明となっております。
野国村で甘藷の栽培に成功すると、その栽培法を学び沖縄全域に普及させたのが儀間真常(ぎましんじょう)という人物です。
ご存じの通り、沖縄は台風の多い地域です。台風や干ばつなどで作物がダメになる事もあり、多くの餓死者を出していました。
儀間真常は沖縄全域に甘藷を広め、餓死者の数を減らしたと伝わります。
甘藷は痩せた土地にも育つし、栽培も難しくありません。さらには干ばつや台風にも強いため、飢饉対策の食料としては最適でした。
琉球に広まった後、1705年頃、甘藷は薩摩に伝わり、1734年に青木昆陽が薩摩から甘藷を取り寄せ、後に「サツマイモ」と呼ばれるようになりました。
野国村という小さな村から栽培の始まった甘藷は、沖縄全域に広まり、薩摩を経由して全国に広まったのです。
「サツマイモ」という名から発祥は薩摩と思われがちですが、もともとは中国、その中国もフィリピンから伝来したと伝わり、原産地は南アメリカとも言われています。
ちなみに「サツマイモ」は、英語で「sweet potato」というので、覚えておきましょう。
さて、師走も始まり、4週間後は2018年です! 年末の仕事がたっぷり残っているので
マルキヨ製菓のイモ菓子でも食べて、午後も頑張りたいと思います!
今回はこの辺で。
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