したたかな外交
2017年05月25日
こんにちは、マルキヨ製菓広報担当の仲宗根です。最近は晴れている時間の方が長く感じられる沖縄から、今日も元気にブログ更新中です!
バジル・ホール(イギリス人)を艦長とするライラ号が今から約200年前の1816年、琉球を訪れ琉球王府と交流を持ちました。彼の旅行記によれば「琉球は武器を持たず、戦争のない理想の王国」だった…
前回ブログでは、そういうお話をしました。 → 【理想郷と言われた琉球】
イギリス側の記録からは、非常によい印象で琉球の事が記されています。今回のブログでは、前回書き切れなかった「琉球側のしたたかさ」について書こうと思います。
が、もう少しイギリス側が好印象を持ったエピソードを。バジル・ホールを艦長とするライラ号の船乗り達は、約1ヶ月琉球に滞在しましたが、その期間中、1人の若い船乗りが病死してしまいました。
その船乗りの名はウィリアム・ヘアーズ。琉球側は、若干21歳でこの世を去った彼のためにお墓を作り、手厚く葬りました。その経緯も記録が詳細に残っています。
那覇市・泊港(とまりこう)近くに墓を作り、人々はその墓へいたるまで行列をなして葬儀が行われました。
イギリス側は、艦長などの偉い人達が行列の最後尾に位置しました。それを見た琉球の人々はすぐにイギリス式の葬儀を理解し、最前列に並びました。
イギリス式にならい、墓地まで行列の前を歩いた琉球の人々。それを見たイギリスの人々は、理解の早さとイギリス側をたててくれる姿勢に驚き、心を打たれたと記録に残っているそうです。
その墓地があった場所はいわゆる外国人墓地として、今でも琉球で亡くなった多くの外国人の墓があります。現在、那覇市指定文化財となっているその地は、かつて「ウランダー墓」と呼ばれていました。「ウランダー」とは「西洋人」を意味する言葉です。
【マルキヨ製菓 CM①】
さて、ようやく「琉球側のしたたかさ」をお話しする時が来ました。
ライラ号艦長バジル・ホールが琉球を訪れた際、琉球側は王府主催の夕食会を開き、彼らをもてなしました。夕食会の開かれた「臨海寺(りんかいじ)」は、文字通り海の近く、現在の那覇港内にある場所でした。
いわゆる「おもてなし」自体は非常に友好的に行われたのですが… 実は琉球側はイギリス人の上陸を嫌がって、海側で足止めしておきたいという意図がありました。
琉球側は彼らが上陸出来る場所として、非常に限定的な2カ所のみ許可。「那覇港」近辺と現・泊高校近くにあった「聖現寺」周辺のみで、そこ以外の琉球の地へ立ち入りは制限したのです。
何と関所まで建てて、彼らの往来を監視していたというのですから、よほど琉球の内側を見られるのを嫌っていたのでしょう。
イギリスは大国です。当時の琉球からすれば、「琉球はすぐに侵略出来る」なんて思われないよう、こちらから出せる情報を極力制限していたのでしょう。
今回のブログでは記しませんが、けっこう琉球王府って大国相手に「したたか」というか「のらりくらり」というか、そんな外交で大きなピンチをしのいできているんですよね。
【マルキヨ製菓 CM②】
(ごく一部を除いて)イギリス側に琉球の地へ足を踏み入れさせなかった琉球王府。にも関わらず、イギリス側からは「理想郷」とまで表現されるほど好印象をもたれた琉球。
これもまた、琉球独特の外交戦略なのでしょうが、そういう事がうまく出来る事もすごいなと、素直に思います。
さて、今日はブログ更新の後、マルキヨ製菓HPに関する管理会社との打ち合わせがあります。お菓子だけでなく、HPなども魅力あるものにしようと、努力の日々です。
「ランチは何にしよう?」。それを楽しみに、今日も頑張ります。笑
今回はこの辺で。
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